映画「クロスロード」撮影コーディネイト日記④―番外編 脚本家・福間正浩さん



映画「クロスロード」の脚本を担当した福間正浩さんは、青年海外協力隊でセネガルに赴任経験がある。だからこそ、赴任地での隊員の葛藤をリアルに描けたのだろう。公開を前にフェイスブックにポストした福間さんのボランティアについての記事をご本人の許可を得て転載。

福間さんの「クロスロード」についてのインタビューはこちらで。

http://www.joca.or.jp/eiga/news/20151110_02.html


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明日28日から、脚本を担当した映画「クロスロード」が公開されます。

―――バックパックを背負い、世界を渡り歩いていた若い頃…。
20歳の私は、ナイロビの安宿で、沈没していました。

ある日、ケニア北部のトゥルカナという難民キャンプを通過して来た旅人が、ドミトリーに来て、開口一番言いました。
「酷いモノを見て来た」と。

難民キャンプには、白人のNGO医療ボランティアが入っていたのですが、週末になると、空腹と病気に苦しむ難民を横目に、ビール片手にディスコ大会をしていた、と言うのです。

「ボランティアの実態なんて、結局、そんなもんなんだよなあ!」
義憤に満ちた彼は、吐き捨てるように言いました。

世間知らずだった20歳の私も、同じように「結局、そんなもんなんだ」と、世の中の裏側を「見た気」になったものでした。

―――時は流れ、私の考えは、変わって行きました。

「ボランティア」と「ぶりっ子」は、似ていると思います。

合コンで、皆の靴を揃えたり、料理を取り分けたりする子は、女子仲間の目の敵になります。
「あの子、女同士だと何もしない癖に、男の前だと、イイ子ぶって! それを見抜けない男も、バッカじゃないの!」

でも、男にとっちゃ、その子が普段どうしてるかとか、どういう意図があるのかなんて、全く関係ありません。

ただただ、彼女の行動が助かるし、「私は男の前でも、ありのまま」と、何もしない子より、遥かに有り難いのです。

また、例えば、自分が足が不自由な老人で、電車に乗ったら、席が空いてなくて、目の前に若い男が座っていたとします。

その男は、普段は、「わざわざ、あてつけがましく、俺の前に立ってンじゃねーよ! マジ、ムカつく!」などと内心思いながら、スマホをいじって、老人に気が付かないフリをするような男です。

でも、たまたま隣に彼女がいて、「イイ人」に思われたいが為だけに、席を譲ったとします。
それでも、体がキツイ自分にとっては、とても有り難く、感謝すると思うんです。

―――要するに、人は必ずしも「善意」や「優しさ」という気持ちによってのみ救われる訳ではない。 「偽善」に救われる事もある。

が、一方には、異様に「気持ち」を重視する人もいます。
「善意原理主義」と言うか…。

そういう人達にとっては、前述のボランティアなんて、「悲惨な境遇にいる難民の気持ちを考えない」とんでもない奴ら、という事になります。

でも、彼ら(彼女ら)は、何不自由ない先進国の生活から、志願してアフリカの僻地に来ていて、それだけで、相当なストレスな訳です。

そのストレスを抱えた上で、飢餓と病気に悩む人と「同じ目線」になろうと、ロクな物も食べず、フラフラになって活動する事が、正解なのか?

しっかり栄養と休養をとり、時には酒を飲んでバカ騒ぎして、心身共に万全の状態で活動するのと、どちらが難民にとって、望ましいか?

少なくとも、私が難民だったら、「気持ちはいらないから、しっかりした状態で、俺や俺の家族を助けてくれ」と思います。

―――ナイロビから10年後。 
自分が青年海外協力隊に、ボランティアとして参加していました。

協力隊も、よく「税金の無駄遣い」とか、批判に晒される組織です。

隊員に対しても、「結局」「協力隊に行く奴なんか」「現実逃避して来た奴と、偽善者と、新興宗教みたいに世界平和を唱える、ちょっとズレてる奴らの集まり」みたいな偏見を持ってる人が、少なくありません。

ただ、思うんです。 
仮に、ホントにそうだとしたら、何が問題なんだろうって。

私は、東京の一部上場企業から、ニューヨークではウェイター、イスラエルのキブツ(集団農場)でのオレンジ狩りまで、様々な場所で働いて来ました。

その中で、唯一言える事は、どんな組織にも、表沙汰に出来ない暗部があるし、どんな人にも、墓場まで持って行きたい秘密がある、という事です。

だから、例え汚い部分があったとしても、それは「結局、〇〇じゃないか!」と決めつける「結論」ではなく、「前提条件」
―――つまり、それを受け入れた上でのスタートラインに過ぎないんじゃないのだろうか?

私なんかデジタルな人間なんで、協力隊に参加した人の、動機や気持ちの問題なんか、どーでもいいと思っています。

どーせ、人は本当は何を考えてるかなんて、誰にも見えないのだから。 
でも、行動は、目に見える。

偽善だろうが、邪悪な欲望があろうが、誰かが、その行動によって助かれば、結果オーライで、いいんじゃないだろうか?
少なくとも、何もしないよりは。

―――「これは、『蜘蛛の糸』なんだ」などと、スーパー身の程知らずな事を考えながら、脚本を書いていました。

『蜘蛛の糸』の主人公は、強盗・殺人と悪行の限りを尽くし、地獄に堕ちる。

でも、たった一度だけ、蜘蛛の命を助けた事があって、釈迦が、天界に続く蜘蛛の糸を垂らしてやる、という御存知の話です。

芥川龍之介はデフォルメしてるけど、我々は皆、多かれ少なかれ罪を背負っている訳で、主人公は、我々自身なのです。

例え偽善だとしても、自分の行動で誰かが救われれば、いつかは目の前に蜘蛛の糸が降りて来て、自分も救われるかもしれない。

その糸は、突然切れて、苦い終わりを迎えるかもしれないけれど……

そういう映画になればいいなあ、って思ってたけど、自分で書いてて、ハードル上げ過ぎました…。
芥川の足元にも及ばないけど、「そんな感じ」ってコトで(笑)

―――テレビで、この映画の予告編、殆ど観た事ないでしょ?
そう、予算無いんです。


皆さんだけが、頼りです。御覧になって頂ければ、嬉しいです。
宣伝して頂けると、尚、嬉しいです m(__)m
http://crossroads.toeiad.co.jp/


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by cordillera-green | 2015-11-27 15:07 | 映画「クロスロード」

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