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立教大学アジア寺子屋 スタディツアー2017の感想文 ①

2017年8月、コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)は、立教大学のフィリピン・ホームステイ・サークル「アジア寺子屋(通称”アジ寺”)」のスタディツアーのお手伝いをさせていただきました。アジ寺は毎年フィリピンでホームステイを中心としたスタディツアーを実施していて、CGNも毎年、数日のプログラムを企画させていただいていますが、今年はがっつり18日間の長期間のスタディツアーの受け入れをさせていただきました。CGN側は同じく立教大学を休学してバギオで英語留学とCGNでのインターンをしている吉村瞭が、企画とアテンドを担当しました。ツアーに参加してくれた、アジア寺子屋メンバーから力作の感想文が届きました。アジア寺子屋のご了承を得て、CGNのブログでシェアさせていただきます。アジア寺子屋の皆さま、ありがとうございました。

アジア寺子屋のスタディツアーについてはこちらに詳細があります。

アジア寺子屋スタディツアー その①
アジア寺子屋スタデイツアー その②



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「豊かさ」とは何か・カヤンでのホームステイを通して

高山由衣 (コミュニティ福祉学部コミュニティ政策学科3年)


 私は 2017 年度前半のスタディツアーで「豊かさ」について考えた。今回でフィリピンに来るのは 3回目となったが、毎年フィリピンの人々の暖かさや、豊かな自然に心が温まるし、羨ましなあとさえ思う。貧困の国に行ってみたいという軽い気持ちで行った 1 年目は、自分の生活との違い、日本との違いに素直に驚いた。2 年目、フィリピンの自然や暖かい人々に 2 年目ならではの愛着も湧いてきた。また会いたい、もっと知りたい。そう思えた。今回もまた、場所は違うにせよ、行った先々で出会った人たち、繊細ながらたくましく優しい人たち、豊かな自然を前にして、「あぁ、フィリピンに帰ってきたのだな」と胸がジーンとした。
 1年生の時も、2年生の時も、帰国前にはフィリピンで学んだことや、自分の中で変化した価値観の違いや考えたことを忘れないようにしようと心に決めるが、いざ日本に帰るとその気持ちを忘れてしまっていた。どんなにフィリピンでのシンプルライフが素敵だと感じ、情報に惑わされず他人と助け合って生きていきたいと感じていても、帰国後はいつも通りの日本の生活に順応していく。環境にはなかなか逆らえないものなのだ。人々との強い人間関係、雄大な自然、情報に惑わされない生活、自分の頭で考える力、自然と共に生きる力…このようなものは私たちが欲しくても決して簡単に得ることができるようなものではないと感じた。日本では新しい技術が次々に開発され、数年後にはそれらが私たちの身の周りに当たり前に存在するようになる。私たちは常に、楽に生活できるような便利さ、快適さを追求しているのだ。もちろん、高い技術力を持つことは日本の強みであり、 私はそれを誇りに思っている。しかしながら、ないものにばかり目をつけている私たちは、大切なものを失っているのではないだろうか。
 それは日常のある一場面から考えさせられた。畑を耕している時にある村人が私たちのために竹でスコップを作ってくれたのである。最初はただただ驚いたし、フィリピン人男性の人間としてのたくましさにドキッと胸が高鳴った。しかし、次第に「スコップがないなら作ればいい」という発想が自分の中にはこれっぽっちも存在しなかったことへの疑問や劣等感をも感じていった。日本にいては、「スコップがないならば買いに行こう」この一択ではないだろうか。私たち楽さや便利さを追求するあまりに、人間に本来備わっていた「生きる力」を失っているのではないだろうか。道具がなければ、モノがなければ何もできない。お金がなければ暮らしていけない。情報がなければ不安になり、電気やガスが止まればパニックの嵐である。私たちは日本の技術者や開発者など多くの人々のおかげで便利なものに頼って生きていくことができるが、自分自身がそれらに頼らず生きていく術を失っているし、それらがなくなった時の代償は大きすぎる。
 フィリピンの人たちが技術の代わりに、生きる知恵や自然など多くの資源を持ちながら自然と共存して生きていくのに対し、日本人は自然と一線を置いて生活しているように思えてきた。日本での自分の周りにも、フィリピンには劣るが自然はもちろんある。しかし、自分は自然を意識していないし、関わろうとしない。よって、より身の回りに自然が存在しないように思えているのではないだろうか。自分の生活と自然とが切り離されているのだ。
 1 年生や 2 年生の時に、「フィリピンと日本、どっちが豊かか?」と聞かれたらあまり悩むこともなく「日本」と答えていただろう。何をするにも、どこへ行くにも便利な技術があって、困ったことがあっても大抵は「モノ」や「情報」に頼れば解決するからだ。しかしそれは「経済」というフィールドで貨幣価値のもとでしか見てこなかったからである。今は、日本とフィリピンで「豊かさ」は比べることができないのだと思っている。日本には多くの技術、フィリピンには豊かな資源があり、どちらも素晴らしいものであり、それらを天秤にかけることはできないからである。
 「豊か」について考える人が 10 人いれば答えも 10 通りあるかもしれない。その人が何に重きを置くかによって変わるからである。その基準は自分で決めることができる。今回のスタディツアーで私は自分なりの「豊かさ」について考えた。「豊かさ」とは、いかにもとあるものを大事にできるかではないだろうか。近くにあるものこそ、目につかなくなってくる。自分たちの良さに気が付かないこともある。日本でもフィリピンでも、他の国でも今ある美しい自然を壊してビルを建てる、モノを作る、街を切り開いていく…このスタディツアーでも自然を切り崩し鉱山開発を進めていくのを目で見た。そんな時、一歩踏みとどまりたい。壊してしまった物を治すのは難しい。無くてもいいものを求めるばかりに、大事なものを失ってしまっては元も子もない。フィリピンでも日本でも、無い物探しをするのではなく、あるものを大事にし、それを最大限に生かしていきたい。
 また、フィリピンにありふれている、目に見えない人と人との強いつながりや深い愛情を持つ心も私にとって豊かさには不可欠な要素であると感じている。私はそのフィリピンならではの「豊かさ」を大事にしてほしいし、そのために自分ができることがあるならばやりたい。
 私たち「アジア寺子屋」のフィリピンキャンプの主な活動はホームステイである。去年までは北ルソンのキリノ州マデラにホームステイをしたが、今年はご縁がありCGNさんや多くのフィリピン人のご協力のもと、今まで行ったことがなかった多くの場所を訪れることができた。さらにカヤンではホームステイを行うことができた。フィリピンの色んな場所を知ることができて楽しかったし、訪れた場所すべてに独自の雰囲気が漂っていて驚いた。カヤンを知りマデラを知る、マデラを知りカヤンを知るというように1つの場所を知るにしても他の場所を知っておくが必要であるということを再認識した。
 
 今回は初めての村で、今までとは違うホームステイを経験してみて自分たちの活動を見直す良い機会にもなったように感じている。考えたことや感じたことを忘れないうちにここに書いていきたいと思う。最初は正直、マデラに行けないことが残念だなという気持ちが1番強く、マイナスな感情が強かった。しかし、実際にカヤンに着く楽しみの気持ちが一番強くなった。緑が多く、空も広い。歩いているとすぐにパイナップルやマンゴーの木を発見した。今までバギオにいて涼しかったが、バスから降りると日差しが強くバギオと比べると蒸し暑かった。
 どんな家にホームステイができるのだろう、どんな人々との出会いがあるのだろうなどと想像を膨らませながらホストファミリーを待った。私のホストファミリーはパパとママと兄弟3の5人。少し家族紹介をしようと思う。1番上のお兄さんは日本語もよく知っていて、フィリピンの文化や彼自身のこともよく教えてくれた。2番目のお兄さんは、ハンサムで日本についての関心が人一倍強かった。日本のアニメが好きで、日本のアニメを見て日本文化を勉強しているらしい。普段、兄2人はバギオにいて週末は帰ってきているが、ステイ期間はママと妹のクレアが面倒を見てくれて、常に私たちのそばにいてくれた。
 最初は妹のクレアもシャイなのかと思ったが、明るくて楽しい女の子だった。彼女とフィリピンのこと、カヤンのこと、日本のこと、学校の話、結婚やこれからのこと、家族のことなど他愛もない話をよくしたことは大切な思い出である。ママはお料理上手で家族思いなのがたった数日間でも伝わってきた。パパはバイクが好きで、バイクを上手に乗りこなしている。夜は近所の人とお酒を飲んでいて家にいることは多くなかったが、家にいるときはよく話しかけてくれた。カヤンでは家族の絆の深さを感じた。これは以前ホームステイをしたマデラにも共通していた。
 私は日本では、父母、そして兄の 4 人家族である。平日の夜はだいたい一人でご飯を食べ、土日も母と二人か、集まったとしても父母と自分の3人で食卓を囲む。クリスマスやお正月などのイベントも友達と過ごすことが多く、年々家族と過ごす時間が減っている。それに比べて、マデラでも、カヤンでも食卓は家族全員で囲むことが多かった。今日あったことや他愛のない話をしながら食卓を囲み、毎週日曜日は家族と一緒に礼拝に行き、クリスマスは毎年家族とお祝いすると言っていた。
 家族だけではない。たった数日間であったが、村全体でのコミュニティの強さを感じた。日本で、地域のコミュニティの強さを感じたことは今までない。自分は小学 1 年生の時から同じアパートに住んでいるが、近所の人の顔もよく知らない。時々引っ越しで人が入れ変わり、時々家を出るタイミングがあれば挨拶をする程度である。カヤンでの地域のコミュニティのつながりの強さは、日常の些細な出来事から感じることができた。
 ある日の朝、近所の家のママが慣れた様子で家の庭まで入ってきた。彼女は私の家のママに「おはよー」という感じで挨拶をした後、カラマンシーの木に登りいくつか収穫した。私がママに「うちの木だよね?」と尋ねると「そうよ」というだけで、ただ笑顔で見ていた。その後、彼女たちは楽しそうに会話をし、話し終えた後彼女は家に帰っていた。
 日本では他人の家に勝手に入って果物を収穫するなんて信じられない話であろう。そんなことをしたら泥棒だと訴えられてしまうかもしれない。家族の中と外とには大きな隔たりがある。しかし、カヤンでは家は違ったとしても、地域の人たちとの強い信頼関係が築けている。だからこそ、このような出来事が日常に起こるのだと思う。
 また、日本人メンバーと今日食べた食事についての話をしているときに、献立が1、2 品被ることがよくあった。その時はただ偶然被っていただけかもしれないと思っていたが、この村なら、近所で食材を分け合ったり、物々交換をしていたりするのではないかとも考えていた。
 後から聞いたことには、やはり収穫した農作物の交換も普通に行われているようだ。私が見た、近所の家のママがカラマンシーを収穫する様子も日常的な出来事だったのだろう。おすそ分け、物々交換の文化の暖かさに触れた気がした。しようと思っても簡単にできるものではないからだ。それには長年培った信頼関係が必要であるからである。
 さらに、村で定期的に開催されるスポーツ大会も結束力の強さに影響を与えているのだろうと思った。年齢関係なく男女も混ざってスポーツをしたり応援したりする姿を見て、この村に何があっても、皆は助け合って支え合って生きていけると確信した。私たちも少し参加して、一緒にスポーツをすることで結束力が高まるということを体感することができた。体を動かすと楽しいし、人との距離も自然に縮まるからである。
 次に考えたのは私たちとカヤンの人々との関係性についてだ。私たち「アジア寺子屋」は今までホームステイ先では無償で受け入れていただいていた。しかし、今回は一日に 500 ペソをお支払いし、受け入れていただく形となった。最初はこのこと自体に違和感を持っていた。自分はお金を払ってステイをしたことはなかったが、「お金を払わないことで相手と関係性を築けるように努力ができるのではないか」「お金を介する関係性ではなく、家族のような関係になりたい」「直接お金を払ってしまってはゲストのようになってしまいそう」などと考え、お金を直接的に渡さないことを選択してきた。しかし、実質お金はかかっているのであるから、お金を払うことは何もおかしくない。
 振り返りミーティングの時に「無償で受け入れてもらうこと」「お金をお支払いすること」について話し合うことがあった。メンバー内の意見で「実際にお金がかかっているのだから、お金を払うことはむしろ普通であり、払いたい」という意見や「払わないこそ、気を使わずにお互い必死になれる、相手もそう接してくれるのではないか」という意見やその逆の意見など、多くの意見が出た。どの意見も説得力があり、自分も感じていた感情であった。私としては、罪悪感をなくし、自分が楽になるためだけにお金を払うのはお互いにとってもよくないことであると思ったが、「お金を払わないこと」に関して私たちは考えすぎなのかもしれない、とも思うようになった。確かに、お金を払わない方が家族になろうと必死になれるかもしれないし、暖かい、強い信頼関係を築けるのかもしれない。相手を理解しようと一生懸命になれることもあるのかもしれない。
 しかし、私が 1 年生の時はお金を家族に直接払っていないが、いつまでもゲスト気分が抜けなかった。対照的に、今年はお金を払って受け入れていただいたが、後輩がたった2日間で村の人々ととても強い絆を築いていた。私は気が付いた。結局は勇気なのだということを。お金を払う払わない関係なしに、自分をさらけ出す勇気、相手に一歩近づく勇気、お互いを理解しようとする愛があれば、私たちが求めている家族のような温かい関係性を築くことができるのだなと初めて知ることができた。
 たった数日間であったが、村としての自分のホストファミリーと共に楽しい時間を過ごすことができ、急であったのに受け入れてくださったことに感謝の気持ちでいっぱいである。村の人たちと集まってゲームをしたり、歌を歌ったり、一緒にご飯を食べた日のことはこれからも忘れないだろう。いつもと場所は違ったが、いつもとは違う観点で多くのことを考えることができたし、大切な家族や仲間がカヤンにできた。この経験は、私たちのこれからの活動を考えていく上で強いヒントを与えてくれるだろうと思う。今はCGNのスタッフさん、カヤンに住んでいる人たちへ「SALAMAT PO」の気持ちでいっぱいである。これからも人々とのつながりや関係性の作り方、つなげ方、深め方、について考えることから逃げたくない。全員で向き合おう。


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「1回休み」を意義あるものに
金子聖奈(文学部日本文学専修 3 年 )

 マニラのニノイ・アキノ国際空港に到着したのは、例年と異なる真っ昼間。そして、いつものターミナル3と異なるターミナル1。今年は、出始めから完全にイレギュラーな隊であった。そんななかでのスタディツアー。本来ならば8月 11 日までの5日間の予定だったが、急遽お願いして 24 日まで引き延ばしていただいた。インターンの𠮷村さんには、感謝の念が尽きない。
 さて、スタディツアーのなかで印象的だったのは、初日に訪れた博物館や、植林後に訪れた Suvani’s Avon Heritage Home で、フィリピンの伝統文化に触れられたことである。フィリピンはキリスト教国家であることはもはや自明であるが、伝統的な宗教観のなかには日本と似た、アニミズム的な信仰形態があったことが印象的だった。そして、一神教であるキリスト教と、あらゆるものに神を見出す伝統的な多神教が現代は共存していることに、強い関心を抱いた。 西洋で生まれたキリスト教がフィリピンで布教され、それが一般的になっても、土壌にある信仰心に日本と共通のものがあるということに感動したし、あんなに豊かな自然に恵まれていたらあらゆるものに神を見出すのは、そりゃあ当然だよな、という気もした。
 また、サトウキビの抽出方法が、7 月に沖縄で見たそれと全く同じことに大変驚いた。フィリピンではカラバオ、沖縄では馬を用いる点だけ違うが、基本的な構造は全く同じである。いつその抽出方法が考案されたのかわからないが、同じアジア人として、生きる術の根源的な共通点を感じた(もともと沖縄は本土とは異なる国家、異なる生活形態だということは脇に置いて…)。
 そんなふうにフィリピンの伝統的な生活スタイルや、それを支える大自然への感動を思ったが、植林や鉱山開発現場の見学のときには、その大自然が失われつつあるということ、フィリピンが直面する環境破壊問題を改めて深刻な問題だと思い知った。鉱山開発現場で特に印象的だったのは、実際にそこで働いている人々と会話した内容である。2 年前のスタディツアーではそういった機会がなかったので、生々しい声が聞けたことをありがたく思う。私が話した人は 25 歳で、15 歳のときからイトゴンの鉱山で働いているという。続けるのか?と聞いたら「続ける」と。「怖くないのか?」と聞いたら「もちろん怖い。しかしリスクは承知の上だ」と言っていて、なんだかすごく悲しくなった。そんな自分を危険な状態にさらしているとわかっているのにやめられない生活を目の前にして、自分にできることは何かあるのだろうか……と無力感に苛まれた。ただ、フィリピンの鉱山開発には日本やアメリカも深く関係していたというのだから責任感さえ感じる。自分ひとりが背負ったところでどうにもならないのだが。もし自分にできるのなら、現在所属している NPO 法人ブリッジ・フォー・ピースの拡大事業として、フィリピンの山奥にあるものをアイデアを駆使して販売し、地元でその産業を回転させていくといったことができないだろうか?と考えた。資金面や人手の面でも壁は厚いが、将来的に事業を立ち上げる方向で恩返しすることも視野にいれようと思った。そのような視座を与えてくれた反町真理子さんに心から感謝している。
 スタディツアー後半には、孤児院の訪問、紙漉き体験、カヤンでのホームステイ、手織りの見学など、様々な体験をすることができた。孤児院の訪問は2回目であるが、そこで何と、2年前の訪問を覚えていてくれた子がいて、胸が熱くなった。2年前、私は孤児院で本当にたくさんのことを学ばせてもらった。当時1年生だった私は、直接エリーさんにお話を伺って、どのようにして孤児院の子供たちの心の傷を癒すのか、とか、不躾な質問を遠慮なくしてしまったが、たくさんの時間を割いて答えてくれた。そして、エリーさんは彼女の大切な「娘」であるエリザベスと私をバディにした。エリザベスは当時 11 歳でまだ幼さがあり、爪をよく噛んでいたし、初めて会ったとき、私に向ける鋭い視線はとても懐疑的だった。しかし、交流を続けていたら、書道教室のプログラムで「ありがとう」と日本語で一生懸命書いたものをプレゼントしてくれた。心の傷、キリスト教の愛、フィリピンの社会問題など、さまざまな問題が混沌としているのを感じて、とても印象深い出来事だったのである。
 2 年経ってエリザベスは、誇張でもなく私のことをすぐに分かってくれた。(私も当然エリザベスのことはすぐに分かった!)13 歳になった彼女は、ずっと孤児院の幼い子どもの面倒を見続けていた。赤ん坊を抱いて、ごはんをあげたりあやしたりしていた。とても立派なお姉さんになっていて、Turning Point でたくさんの愛を受けてのびのびと成長したことが感じられた。2 年前の書道作品は、階下の部屋にかざってあると言って、ジョイという同年代くらいの女の子が当時の作品をわざわざ持って来て見せてくれた。こんなに明るくて愛にあふれた空間であったが、その直後に反町さんや職員の方から聞いた子供たちの背景は、衝撃が走るほど暗く悲しいものだった。また、孤児院運営の厳しさも聞いた。私は、Turning Point という場所があの子供たちの居場所なのだから、それを守るために何かできることがあるのならやりたい、できそうだ、と思った。
アジア寺子屋は、「ボランティア団体」になることを疎んじている嫌いがあると思う。そして、「ボランティア団体ではない」ということを団体の色として掲げていることも事実である。物資やお金の支援をすることは、目に見えるかたちで軽率に物事を解決しているにすぎないというような考え方があるような気がする。たしかに「支援」というと、立場に上下ができてしまう印象も受ける。が、私の感覚でいえば「支援」などというものではなく、友人への「贈り物」または感謝のしるしなのだ。
カヤンでのホームステイもまた意義深いものだった。有償ということがアジア寺子屋メンバーにとっては大きなファクターであっただろう。印象としてはカヤンのほうがマデラよりも経済的に豊かに見えた。就寝時間もカヤンのほうが遅い。しかし、マデラに似ている箇所も多くある。たとえば村のコミュニティの結束力だ。最終日の土曜日にはバナナの葉でくるんだ「スティッキーライス」を村人総出で大量にこしらえたが、それはどうやらティクラさんと私の家の親戚が亡くなり、その葬儀に持っていくためだそうだ。亡くなった人や葬儀に参列するティクラさん、ママ・エルマとは血縁関係のない村人も当然いただろうに、そんな人でもみんなでこしらえる。無償の助け合いが当然のように行われていることを目の当たりにし、こういった結束はマデラと変わらなく、素晴らしいと改めて感じた。
ホームステイ体験ができたのは、本当に意義深いものだったと感じている。とくに一年生にとって、マデラに行けなかった悔しさはあるものの来年以降マデラでホームステイをする基盤や指標ができたのは良かったのではないかと思っている。無理なスケジュールのなか、カヤンでのホームステイを実現させてくれた吉村さん、リリーさん、シェーンさんに感謝の念が尽きない。
家族との交流については、正直最初のほうは「今年で最後だし、一週間だし、マデラのように続くわけじゃなくて、きっともう会わないし」といった邪念があり、受け入れる側もお金をもらって受け入れていることもあってか、距離感がマデラとは違って難しかった(いや、マデラではお金を払わないからこその距離感のむずかしさがもちろんあるのだが)。カヤンのホームステイを定義するなら、私の個人的な感想では「家族になる」ということではないような気がした。どちらかというと、文字通り「お金を払ってホームステイ体験をさせてもらう」というためのホームステイ。
また、小学校授業をうまくやらねば、という明確な目的意識がうまれたので、家族との関係性をあれこれ悩むよりもそちらに意識がむいてしまったきらいがある。「小学校授業のためのホームステイ」になってしまわないかと、TALAでも高山と話して全体の雰囲気に注意するようにしたし、自分でも意識はしていた。しかしやはり、マデラのように3年間、という前提がなく、相手も我々にあまり興味があるように見えない……家に帰っても人がいない……となると、最初からあきらめ気味になってしまった。
しかし、ここで後輩の工藤と一緒だったことで意識が変わったように思える。彼女にとって初めてのフィリピン、初めてのホームステイである。積極的に家族と関わるようにしていたし、自分の甘えた心に鞭打たれ、背筋が伸びる思いがした。自然と、家族との会話が増えた。ほかのメンバーのなかには、日本人同士で話してしまって反省したという箇所も見られたが、私たちの場合は2人で協力して(私が工藤に触発されて?)家族と関わることができたので、良い方向に働いたと考えている。最終日の夜には、工藤とハヤシライス風の煮込みを作った。そのときに、次はいつでも、CGN の仲介なしに来て良いということを言ってくれたのは心から嬉しかった。ビジネスの関係から始まっても、そうじゃないところで繋がりができるのは人間として繋がれたということだと思う。家族には本当に感謝している。
アジ寺の本来のキャンプ、本来のホームステイは「1回休み」になったわけだが、それによって自分たちのホームステイを対象化・相対化することができたのは今回の旅の収穫だ。相対化するというのはそのままの意味で、どちらが良いかを吟味することではない。自分たちがやってきたことを絶対化しない、ということだ。無償のメリット、デメリットを有償だった今回と重ね合わせて十分検討できる。有償/無償という切り口だけでなく、単発(1回)/長期的(3回)かという切り口でも考えられるだろう。自分たち本来の活動(マデラでのホームステイ)しかしてこないなかで、その意味を問うのはあまりにも無謀だった。答えが出ないのも当然だ。有償のホームステイを経験できたことで、自分たちのマデラでの活動を相対化して俯瞰的に見ることができたと思う。それは、フィリピンとの関係がややマンネリ化していた、行けることが当たり前で感謝の気持ちも薄れていた(と思っているのは私だけ?)アジア寺子屋の流れに、よい薬となったのではないかと思う。 今年学んだことを踏まえて、これからマデラとどう関わっていくか、どう向き合っていくかを考えるのは後輩たちが主役だが、今年の体験はよい判断材料として参照できるのではないかと思う。
さて、そういう経緯でカヤンでのホームステイを通して、私なりに 3 年間問い続けたことの答えが出た。アジ寺なら一度は悩むのではないか?「家族って何だろう、家族になるってどういうことだろう」という問いである。それは今回の有償のホームステイを経験したから分かったのかもしれない。つまり自分の答えは、フィリピンの山奥でもうひとつの家族に出会うということは、金銭のやりとりの介入なしに、村のコミュニティの、無償の助け合いの関係に組み込んでもらえるということだと思う。「家族」というと、そのホストファミリーのみとどう家族のような関係を築くかに志向が傾きがちだ。
しかし、フィリピンの村では村全体が家族のように、他人の子供でも面倒を見るし、互いに親戚関係のように信頼しあっている。「ただいま」といえるもうひとつの家族に出会う、というアジア寺子屋のキャッチフレーズは良くも悪くもメンバーを悩ませる。そして私は、「愛」とか「絆」とか、そういったフワッとした実体のない言葉で形容することに違和感を持っていた。そんな中で、批判もあるかもしれないが自分なりの一つの答えが出せたことにはひとつの3年間の完成形を感じる。
たとえばナヨンでは、私が熱を出したときに名前も知らない近所のご婦人が心配してお見舞いに来てくれた。たとえばマデラでは、私がイゴロット語で近所の家の人に「こんばんは」を言っただけで、知らない人にまで「セナが Gawis ai lavi って言ってた!」という話題が伝わっていた。無償でこの素晴らしいコミュニティのなかに入れてもらえることが、村の一員として迎えてもらっていることであり、家族になるということ、その場所に足をつけて生きていく一員になることだ、と私は3年間問い続けたことの答えとして、最後に締めくくって終わりたい。

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by cordillera-green | 2017-09-11 22:26 | スタディツアー