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立教大学アジア寺子屋 スタディツアー2017の感想文 ③

高田 和季(観光学部交流文化学科2年)

 例年、アジア寺子屋はキャンプ中に様々なアクシデントに見舞われる。今年もそれを覚悟の上だったのだが、幸いにもキャンプ中に致命的な問題が起こったことはなかった。しかしそれは、新人民軍によるマデラ来訪という予期せぬ事態によって、例年通りの活動を余儀なく変更せざるを得なくなった前提での話だ。
 前年度、村でのホームステイを体験した人たちは、例年通りのマデラへ行けなくなったと知って、当然のごとく落胆しただろう。もちろん、私もその一人で、スタディツアーが延長になると聞いた時も、正直、気が乗らなかった。というのも、昨年のスタディツアーは消化不良で終わった点が多かったからだ。もちろん、私のコミュニケーション能力や英語力が招いた部分が多かったものの、全体的に手ごたえを感じることができなかった。 マデラでのホームステイは実りのあるものとなったが、ホームステイでの体験が私にとってかなり新鮮なものだったので、キャンプ後にはステディツアーの印象は自ずとと薄れてしまった。
 しかし、結果から言えば今回のスタディツアーは、大変多くのことを学べたと思う。まず、主な活動場所がバギオだった点で、フィリピンのいろいろな面を垣間見ることができた。私にとってフィリピンはマニラ、そしてマデラの印象しかなかった。そのため、今回バギオに訪れることができたのは、私の中にあるフィリピンの世界観ともいえるものが一気に広がる感覚を覚えた。フィリピンの様々な社会問題を身近で感じることができたことは、特に印象に残っている。
 昨年も孤児院、イントラムロス訪問などを行ったが、実際に孤児たちの境遇を知ることや、戦争の悲惨さを直感的に学ぶことができなかった。しかし、今回はフィリピンの貧困問題のリアルな事実や、鉱山の安全性や環境にかかわる問題を、実際に坑道に潜るなどして肌で感じることができた。そういった点で様々な体験が記憶に鮮やかに残るスタディツアーになったと思う。
 スタディツアーの後半は、ほとんどがカヤンでのホームステイだった。今回のホームステイは、例年のアジア寺子屋のホームステイとは違い、有償でのホームステイとなった。加えて期間も短く、昨年が2週間ほどあったのに対し、今回は5日間だった。結論から言うと、実りのあると思えたスタディツアー前半に対し、ただ村での体験を純粋に楽しんでしまうだけの結果となった。特に重要なはずの、現地の人々とのコミュニケーションにおいて消化不良で終わってしまう結果となった。
 原因はいくつか挙げられる。今回私がホームステイしたのは男兄弟4人とその両親だったのだが、父親が仕事でホームステイ最後の夜まで家に帰ってこなかったこと、長男は日本に滞在していて不在、次男、三男が気難しい年頃だったこと、比較的話しやすい母親と四男にあまり英語が通じなかったことがあり、なかなかコミュニケーションがとりづらかった点がまず要因としてあがるだろう。他にもそうなってしまった要因として、短い期間だったことと、有償でのホームステイだったこと、現地での行動がアジア寺子屋全員で行うアクティビティが多かったこと、二人一組でのホームステイだったことが挙げられる。
 昨年は2週間の無償ホームステイであり、滞在するのは各家庭一人が原則であったため、積極的にコミュニケーションをとろうとする姿勢や、とらざるえを得ないという危機感をもっていた。しかし、今回のホームステイではそのような気持ちが緩んでしまっていた。そして、アクティビティのために日本人同士で集まる時間が多かったため、会話も内輪話のようなものが多かった。しかし、様々な要因があろうとも、他のメンバーの中には5日間という短い期間にもかかわらず、家族と深い関係を築くことができた人もいたので、やはり最大の原因は自身の能力の無さによるところではないかと思う。 

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池田智香 (文学部史学科 1年)

 前半は、博物館見学、植林、イバロイ族のコテージでの宿泊、田植え、鉱山開発地域の見学が主な内容だった。その中でも特に印象深い三つについて述べたい。
 一つ目は、イバロイ族のコテージでの宿泊である。日本史に出てくる高床式倉庫を思い起こさせるような、伝統的なイバロイ族のコテージで、イバロイ族やアボンについての話を聞いた。そこで私が強く感じたのは、自分の中に自分が受信したいことと発信したいことのビジョンが全くないことだった。そのため、最後の質問をする時間に何も発言することができなかった。自分自身が情けないとともに、準備不足だと反省した。出発前は、不安な気持ちばかりが先行し、フィリピンについて調べたり、自分がどういったことに興味、関心があるのかを考えることが疎かになっていたと感じる。日本についても、ただ漠然と日本について知って欲しいと思っていただけで、具体性が全くなかった。違う文化を持った人々との交流の中で、自分の中に知りたいことと伝えたいことを持つことは当たり前のことだが、改めて重要なことだと思った。
 二つ目は、田植えである。田植えの後に畑作をもしたのだが、そこで印象的な出来事があった。畑を耕す物が無かった時、アボンの方が即興で竹のシャベルを作ったのだ。まさに、「無いものを数えるのではなく、あるものを数える」という精神が分かる出来事だったと思う。私達は科学や技術の進歩に伴い、どうしても、こういうものが欲しい、あれも欲しいと無いものねだりをする。しかし、あるものを使ってどうにかするという考えを聞き、そういう考えを同時に持つことも必要だと感じた。
 三つ目は、鉱山開発地域の見学である。鉱山問題はスタツア全体を通しても大きな問題だった。私の鉱山のイメージは、「足尾銅山鉱毒事件」でイメージされるような、危険で有害なものというイメージだった。実際にフィリピンの鉱山現場の方も、とても危険なものだと認識していた。また、鉱山開発による環境問題への悪影響についても認識していた。しかし、生活のためにはやむを得ないという意見だった。この問題は難しく、鉱山開発をしなければ、人々の生活は成り行かなくなり、反対に、鉱山開発を続ければ、木の伐採など環境破壊につながってしまう。解決には、雇用、貧困、教育など、多くの要素が改善される必要がある。私はこの鉱山問題の話を聞き、自分の意見はどうかと聞かれた時、どうするべきか明確な答えは分からなかった。
 しかし、私が感じたのは、まずこの問題を「知る」ということが重要なのではないかということだ。知らなければ何もない無だが、知ることによって、少なくともゼロではなくなると思う。その問題について考え、自分は何か行動を取るのか、はたまた取らないのか、それは個人の自由だが、選択する道は開けるのだ。だからこそ、今回スタツアを通じて様々なことを知り、考えることができたのは、自分にとってとても有意義なことだった。今後もその姿勢を続けていけるように努力したい。

 私がスタツア後半を通して特に印象に残っていることを三つに絞って書いていきたいと思う。やはり私にとって一番のイベントはホームステイだった。今回のホームステイは、約 5 日間という期間であるとともに、アジア寺子屋が初めてお世話になる村であったため、予定変更前にも増して、不安や戸惑いが大きかったが、私がお世話になった家庭では CGN の方も一緒だったので、その部分は心強かった。頑張ろうと意気込んで迎えたホームステイ初日だったが、相手の発言の意味が分からず、会話が続かなかったり、恐怖心などから自分からうまくコミュニケーションがとれなかった。そして、そのような状態が毎日続いた。
 しかし、最終日前日の夕食でホストマザーと二人きりになる機会があり、そこで初めて色々な話をすることができた。外国の方と一対一でじっくり話をするのは初めてだったので、緊張したが、ホストファミリーときちんと向き合えた気がして嬉しかった。それと同時に、真摯に私の話に耳を傾け、話を続けようとしてくれる姿勢に、もっと早く自分がコミュニケーションをとれるように行動したかったという後悔の気持ちでいっぱいになり、改めて、英語で自分の意見や気持ちを発信することの難しさ、重要性を痛感した。
 5 日間という短い期間であったが、フィリピンの大自然と美味しいものに囲まれ、不安、緊張、恐怖、孤独感、不甲斐なさ、喜び、感動など、たくさんの感情の中、様々なことを考え、吸収できた時間だった。
 また、学校訪問も印象深い。英語で発表することに加え、想像以上の子供達の数に圧倒され、緊張感で押し潰されそうだったが、無事発表を終えることができ、嬉しかった。今回私達が発表したのは、日本の四季・遺産・宗教・テクノロジーなどのテーマについてだったが、私自身が今後もっと日本について知っていくことの大切さを感じた。
 三つ目は孤児院訪問である。日本にも孤児院はあるが、私は今までテレビなどの画面上でしか目にしたことがなかった。そのため、ドキドキしながら孤児院に向かったが、着いてすぐに子供達が駆けよって来てくれ、その人懐っこさに驚き、一瞬そこが孤児院だと忘れてしまいそうになる自分もいた。しかし、帰宅後に子供達についての話を聞いた時は呆然とした。それは、子供達のキラキラした笑顔からは想像できない現実だった。実際に現場に訪れて子供達と触れあったからこそ、心が大きく動かされ、子供達に対して自分には何ができ、何をしたいのか、深く考えさせられた。
 この他にも、紙すき体験、博物館見学など、スタツア後半を通して、様々な角度から、フィリピンの文化や生活を体験することができた。出発前に、フィリピンに行くか、何度も悩み考えた末の、行くとという決断だったが、その決断は正しかったと今ははっきり言える。自分が知らない世界で、もちろん楽しいことばっかりではなかったが、フィリピンで感じ考えたことは、かけがえのない経験になった。
 スタツア後半を通して、お世話になった多くの方に感謝している。

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工藤はるひ(観光学部交流文化学科 1年)

 1日目はバギオ市内にある大学の博物館に行った。博物館には様々な民族の史料が展示されていた。そこで私が知ったことは、民族ごとに言語や習慣、織物の柄などの伝統、つまり文化がかなり異なるということだ。それにより、フィリピンが日本とは違う、多民族国家であることを強く意識した。今、世界ではグローバル化が急激に進んでいる。もちろん、その中にフィリピンも含まれている。そんな中、どうやって自らの文化を守っていくのだろうか。文化は、固定されているものではなく、時代とともに少しずつ変化していきあらわれてくるものだと考えるため、変化を否定するわけではない。しかし、速すぎるグローバル化はその過程をなくす危険性がある。そこで大切なのが、自分たちの文化の素晴らしさに気づかせ、「少しずつの変化」を支えていく活動なのだと思った。
 2 日目は植林をし、イバロイ族の伝統家屋に泊まった。植林について、前日にレナートさんと瞭さんから植林をやる目的、その大変さについて伺った。実際にやってみて、(私たちが手伝わせていただいたのは非常に短い時間であったが)正直、気の遠くなる作業だと感じた。しかし、この活動を続けているのは政府ではなく、一般の方々なのだ。そのとき、そのことについて「すごい……」という感情しかでてこなかった。その後、イバロイ族の家屋でレナートさんからイバロイ族について話をお聞きした。
 そのあと、日本の文化について質問をされた。「なんでもいい」と言われたが、英語で正しく伝えることの怖さ、そもそも自分が伝えようとしていることの知識が正確なのか、自信が出ず、応えることができなかった。とてもショックを受けた。交流文化学科であることもあり、他文化に対する興味関心は強かった。しかし、聞いて終わりで伝えようとしなかったことが失礼なことだと思った。それと同時に日本の文化について学ぼうと思った。
 3日目は田植えと畑仕事をした。一番印象に残っていることは、「竹のシャベル」だ。発想がすごい。私たちにその発想が思いつかないことは、生活している環境の違いだから仕方ない。しかし、私たちと違うものが見えていることが面白いと感じた。今後経済がより発展し、彼らからその発想が消えてしまうとしたら、寂しい。
 4 日目は鉱山地帯へ行った。到着して最初に見た光景が、エメラルドグリーンのきれいな湖だった。その直後にこの湖の色の原因は、青酸カリや水銀などが混ざっているからだと知りとても驚いた。着いたばかりだったが、目に見えてフィリピンの鉱山の深刻さが伝わってきた。その後、鉱山で仕事をしている人の話を伺った。「命の危険が常にあることを知っているのに、なぜ続けるのか」と女性に聞くと「男たちは頑固なの」という答えが返ってきて、そう答えざるを得ない状態、つまり他に仕事がないのだと思った。さらに女性は「鉱山で働いている人は、学校にあまり通えなかった人だ」と教えてくれた。貧困のため、教育にお金がかけられず、学校に通えず、しかし仕事がなく、鉱山で働く。教育を受けられないことが命の危険に直結する可能性がある。
 では、どうすればいいか。簡単にストップと言える問題ではなく、鉱山に関わる人々の今後の生活を考える必要がある。現状、不足しているのは仕事の数だ。仕事になりそうな資源はどこにでもあるだろうが、それを資源だと地元の人が気づくには、他者からの意見が必要であると思う。まずはそれに気が付かせることが大切だと思った。(一日目の話にも繋がる)
 5 日目は、ターニング・ポイントへ行った。到着するとすぐに子どもたちが笑顔で私たちの近くに寄ってきてくれた。初めて会った外国人をすぐに受け入れてくれたことが印象的だった。なぜなら、ターニング・ポイントで暮らしている子たちの中には、大人に何かひどいことをされた子もいるのではないかと思っていたからだ。また、私と同い年の方がいたことも印象的だった。映画「クロスロード」を見た。タツキがボランティアを偽善だという気持ちもわかる。なぜなら上から目線のような気がするからだ。(確かに今の資本社会では経済的に豊かなほうしか豊かでないほうに援助できないと思うが。)
 しかしターニングポイントに来て気が付いたことがある。それは実際に子どもたちと触れ合い、仲良くなることにより素直に「困っているのなら助けたい」という気持ちを持つことが可能だということだ。ボランティアではない。私は友達を助けたい。そう思えるには、まずは相手のことを知ろうとすることが大切なのだと思う。
 Tala に戻った後、子どもたち数人の事情について聞いた。ショッキングな内容だった。どうやってその話をこんなに小さな子どもから聞いたのだろう、今その大人は何をしているのだろう、捕まっているのだろうか、子どもが大きくなった時どうやって自分の事情を受け入れるのだろう、いろいろなことを考えた。しかし、だからといって私は彼女らを「かわいそう」とは思いたくない。普通のかわいい子どもたちなのだ。。
 ホームステイについて。ホームステイを通して一番印象に残っていることは、ご近所さんたちの輪だ。誰かの家にいると、必ず他の家の人たちが遊びに来たり、世間話をしに立ち寄ったり、食べ物のおすそ分けをしに来たりしていた。カヤン村全体が家族のようだった。特にティクラさんの家で昼食を一緒に食べたり、スティッキーライスを作ったり、夕方から夜にかけて歌ったりゲームをしたことはとても温かい思い出である。東京に住んでいると、そのような経験はしたことがないので新鮮だった。「近くに話し相手、遊び相手になる知り合いがいる」環境は、子どももあまり寂しい思いをしないだろうし、何より困った時に助けてもらえるので過ごしやすいと思う。
 ステイ中の植林は、フィリピンへ恩返しだと思いながら行った。すべての作業が終わり、青空の下で食べたバナナはとても美味しかった。小学校での授業は、最初はどうなることかと思ったが、子どもたちの反応が良くてほっとした。初めてのホームステイだったが、あまり緊張することもなく、有意義で特別な日々を過ごせた。急な依頼だったのに受け入れてくれたカヤンの皆さん、そして、なくなりそうだった私たちのキャンプ全てを成り立たせてくれた瞭さんに感謝する。

*主にスタディツアー中の生活について書きます。(かしこまった形ではないです。)
・大学へ向かうためにタクシーで移動していた時の気づき
フィリピーナの顔の系統が様々。東南アジア系はもちろん、東アジア系、インド系、ヨーロッパ系、アフリカ系(私が思うに…)など、グローバルな意味でも多民族国家なのかもしれないと感じた。

・博物館での気づき
大学の博物館で着させてもらった伝統衣装が、南米のペルーやボリビアの伝統衣装と似ていたことが面白かった。

・バギオのマーケットでの気づき
バギオのマーケットは私の想像する The 東南アジアという感じがして魅力的だったのだが、どこの店も同じものをほとんど同じ値段で売っていて「ここで暮らしている人はどうやって店を選んでいるのだろう」と思った。お付き合いが決めてなのだろうか。
・紙幣をぐちゃぐちゃに握りしめている人が多数。
・お店の中で初体験
スーパーや薬局に行ったとき、必ず銃を持った警備員がいて私たちの方を見てきた。「殺されるかも」と本気で思った。万引きを防ぐために店に持ち込んだ荷物をロッカーに預けることも新鮮だった。

・車、運転について
とにかく日本車が多かった。甘いにおいの排気ガスをバンバンだしていた。横断歩道はなかった気がする。運転が雑なのも最初は本当に怖かったが、だんだん楽しくなってきた。

・イバロイ族の伝統家屋にいた女の子たち
初めて違う国の同じくらいの年齢の人と話した。英語で質問はできるが、相手からの質問がよく聞き取れず、答えられないことが申し訳なかった。英語を勉強する糧になった。

・鉱山のあとのプール
若干鉱山の湖と色が似ていた笑。しかし、日本に住んでいても滅多に入らないプールに入れたし、久しぶりにおもいっきり遊べて、とてもいい思い出になった。プールからあがった後は、大人たちのほろ酔い?!タイムで、それまであまり話さなかったリッキー達と話せた。帰りのぎらさん事件もいい思い出だ。

・志村さん宅
紙を一から作ったり、ゴムで版画を作ることは初めてだったので、わくわくしながらゆったりとした楽しい時間を過ごせた。カレーとこんにゃくアイスが絶品だった。

・お気に入りフィリピン料理
なんといっても、パンシット。最強でした。次はルンピア。ビネガーにつけると尚おいしい。ハロハロも店によって様々なのが楽しかった。

・カヤンの星空
数えきれないほどの星が広がっていた。初めての経験に感激。

・深夜寝室に黒い蝶々?と思いきや、コウモリが旋回していた。

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by cordillera-green | 2017-09-11 23:08 | スタディツアー