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大戦の記憶-マヤオヤオのナッチャジャン山

 今月頭にバギオを訪れた大戦関係の客さんが、亀井さん。戦時中にお父さんがボントク近くで爆撃によって亡くなられ、戦後、お父さんの慰霊に訪ねて以来、25年間にわたって、毎年何回かフィリピンに慰霊の旅にいらしています。

 最初はお父さんのためだった慰霊の旅が、そのうちお父さんの部隊の仲間たち、そしてすべてのフィリピンで亡くなった日本軍の兵士たちのためとなり、兵士たちの足跡を尋ね、お線香と卒塔婆と日本のお酒などを携え、ミンダナオから北部ルソンの山中まで、亡くなった兵士たちの魂に語り掛け、祈りの旅を続けていらっしゃいます。
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 また、戦争末期の日本軍の拠点だった大和基地のあったイフガオ州ティノック郡ワンワン村では、戦争の巻き添えになったフィリピンの人たちへのお詫びの気持ちもこめて、遺族や元兵士の方たちからお志を募り、大学生のための奨学金プログラムもされています。(亀井さんの詳しい活動については「三ヶ根山から始まる旅」というドキュメンタリービデオに詳しいです。お問い合わせは斉藤メディア事務所まで)

 フィリピンの大学の後期が始まる11月、奨学生たちの後期分の学費を携えてイフガオにいらした亀井さんが、今まで足を伸ばしたことのないマヤオヤオに行きたいということでお供することにしました。11月1日はオール・セインツ・デイといっていわばフィリピンのお盆。フィリピンの人たちは田舎に帰り先祖代々のお墓にお参りに行きます。ちょうど子供たちも学期末の休みでしたので、亡くなった日本人の兵隊さんの慰霊をかねての家族旅行となりました。

 マヤオヤオでの目的の山は、以前セミナーや事業の視察の際に聞かされた、日本兵が篭城して戦い抜いたというナッチャジャン山。人々の話では、そこで亡くなった日本兵の遺体は収容されておらず遺骨も残っているのではないかということでした。
 マヤオヤオの中心から車でがたがた山道を20分ほど。そこからガイドのレアンドロ君の案内で険しい山道を登り、日本軍が篭城していたという山頂に30分ほどで着きました。崩れかけてはいるものの戦後60年以上経っていても、日本兵が篭城のために岩を積んで作ったという岩壁と、塹壕のあとはそのままで、生々しい戦いの形跡が見て取れました。
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 レアンドロ君の高校時代の歴史の先生で、郷土史家のロバート・ボンガヨンさんという上品なおじさんに翌日インタビューしたところ、本当によくマヤオヤオの歴史をご存知で、老人たちから収集したという日本軍の話をしてくれました。
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 もともとマヤオヤオには2年間ほど日本軍がそれほど多くない人数ですが駐屯していたそうです。彼らは日本語を村人に教え、友好的な関係を村人たちと保っていたそう。そういえば、それまでの来訪でも何度も日本の歌を歌ってくれる老人たちに会いました。それが、バナウエ方面から別の部隊がやってきて、食べ物の略奪のために家々を焼き払うなどしたため、住民たちはゲリラとして日本軍と戦ったといいます。
 その後、終戦間近になり、イサベラ州から背水の陣でマガット川を越えてイフガオ州に逃げ込んできた日本兵が約3000名。マヤオヤオを経由してバナウエ方面に移動しようとしましたが(大和基地はバナウエのずっと向こうです)、すでに敵軍に封鎖されており、もう一度マヤオヤオに戻って、ナッチャジャン山を越え、マウンテン州のナトーニンに向かったのだそうです。
 マガット川を越えて険しい山を登り、マヤオヤオまでたどり着いた兵は約半数の1500人。そのうちナッチャジャン山の山頂に味方を逃がすために残されたのはわずか50人。「死守せよ」の上官の命を受け、険しい自然の岸壁をタテに50人はゲリラ部隊との攻防戦を続けましたが、最終的には米軍の空爆により全滅したというのがロバートさんのお話でした。
 バナウエから来る兵を、マヤオヤオのゲリラが狙撃したという山道にも案内してもらいましたが、このバナウエから続く道には、累々と病気や飢えで亡くなった兵の死体が転がっていたといいます。

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 ↑日本兵が狙撃されたという場所。以前はバナウエとマヤオヤオをつなぐ唯一のルートでしたが、今は車が通れるどうとができたため荒れ果てています。

 さて、戦後のナッチャジャン山の日本軍と日本兵の遺留品と遺骨には何が起こったのでしょう。ガイドのレアンドロ君&郷土史家のロバートさんの話をまとめてみると……

・ナッチャジャン山は奥深い山で当時は野生のイノシシがたくさんいたから、たぶんほとんどの遺体はそのエサになってしまっただろう。
・80年代に日本人がやってきて、元兵士の頭蓋骨を毛布3枚と交換すると言った。そのため、住民たちはナッチャジャン山をはじめ、マヤオヤオのあらゆる場所の放置されたままだった遺骨を掘り出して毛布と交換した。
・山下財宝を探すためにたびたび宝探しの人がやってきて、日本軍がいた場所を掘っていった。
・金属の値段が高騰した際に(90年代?)、住民たちは山頂付近で放置されたままだった爆弾のカケラや銃の残骸などの遺留品もみな集めていって売った。山頂近くの岩に食い込んでいた弾まで掘り出した。

 というわけで、ナッチャジャン山には、日本兵たちの篭城の形跡を残した遺骨や遺留品はすでに掘りつくされていて何も見つかりませんでした。
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          ↑ナッチャジャン山山頂付近
 
 このナッチャジャン山、今は、ハイカーたちの展望スポットとして登山者に知られるようになり、数週間前にはアロヨ大統領のお嬢さんもお友達とお忍びでいらしたとか。フィリピンの眺めのいいところには必ず見る携帯電話会社の鉄塔もしっかり立っていました。
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 しかし、きっとこの美しい棚田の風景は60余年前も今も変わらず、勤勉なる人の営みが作り出した朝日に輝く棚田の風景を見ながら、戦争に巻き込まれ死んで行った兵士たちのことを思うと胸が苦しくなりました。なんと人間は、賢く、そして愚かなものなのか、この山からの風景はすべてを物語っているようでもありました。

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by cordillera-green | 2008-11-22 11:03 | 戦争