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トゥブライのコーヒー産地・ダクラン村とバアヤン村に行ってきました

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コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)はバギオから約1時間のトゥブライ町で、コーヒーのアグロフォレストリー栽培プロジェクトを行っています。アンバサダー村コロス集落に加えて、昨年からはアンボンドラン村とマムヨッド集落でも開始しました。

トゥブライ町ではダクラン村やバアヤン村にもコーヒーの木があると聞いて、町の環境資源オフィスMENROのアブナーさんの案内で訪ねました。

ダクラン村でコーヒー栽培をしているのは、サヤタンSayatan, スヨックSuyoc, バンホBangho, ジャガオJiagao, プミアスPumias, コノコクConocog, ナムダンNamudanなどの集落だそうです。いずれの集落にも昔からコーヒー栽培をしている農家があり、20年以上前に植えたというコーヒーの木がありますが、伸び放題。古い木に加え、最近、コーヒーが収入源となると聞いて、新しく個人で植え始めている農家もあります。


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特にサヤタン集落は、国家緑化プログラムNGP(National Greening Program)の植樹事業で、環境資源省(DENR)からトゥブライ町に割り当てられた100ヘクタールの植林事業地のうち80ヘクタールが位置し、数年前から大々的にコーヒー栽培に乗り出しています。この5年で町の事業で植えられた苗木は36,000本(バアヤン村と合わせて56,000本)。以前からのコーヒーの木と合わせると数年後にはベンゲット有数のコーヒー豆の産地になるかもしれません。

コミュニティ管理の苗木場も作られていて18,000本の苗木を育苗中で、2017年までに移植する予定だそうです。切り花として販売用のアントリウム栽培をしている黒ネットをシェイドとして利用してコーヒー栽培している農家が見受けられました。トゥブライならではの栽培方法です。



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この辺りで古くから生えているコーヒーの品種はほとんどがティピカ。苗木作りの種も、もともとそこにある木からとっているのでティピカ種です。

サヤタン集落のコーヒー栽培農家のリーダー的存在はヴィーナさん。彼女の農園には7000本以上のコーヒー(以前からのもの2000本、新しく植えたもの5180本)が生育中です。息子の一人が日本で働いているとのことでたいへんな親日家。ご主人は他界し、子どもたちはいちばん下の小学生以外は町に出てしまって、二人暮らし。コーヒーの収穫は近所の子供たちを集めて手伝ってもらうとのこと。

とにかく収穫後の皮むきの作業が杵と臼でやらねばならずとても大変だそうです。水洗式で加工しているそうですが、乾季は水不足で水の確保が大きな問題だそうです。

サヤタンには最近、コーヒー栽培農家の団体Sayatan Coffee farmers Association(SACOFA)が設立され、DOLE(労働省)に登録済み。メンバーは108名の中心となっているのもヴィーナさん。MENROのアブナーさんいよると

「たいへんきちんと運営されています。ヴィーナさんのリーダーシップもすばらしい」

とのこと。


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お隣に住むベロニカさんはヴィーナさんの義理の妹さん。彼女の農園にはコーヒーとバナナを中心としたアグロフォレストリー農場で、コーヒーは約1500本を栽培中です。ミミズ堆肥やコンポストピットもあり有機農業をきちんと実践しています。サヤタンではヴィーナさんを含む5軒の農家がTOPFATublay Organic Practitioner Association)のメンバーとなり有機農業を実践しているそうです。


サヤタン村の中心はカパンガンに向かう幹線道路粗衣のバンホBangho集落です。バランガイ・ホールもバンホにあるそうです。幹線道路沿いに住むジェリーさん(男性)の裏庭にも古くからコーヒーの木がありました。本数はわからないが昨年は生豆で約50キロ分のチェリーを収穫したとのこと。ジェリーさんの家の近所のパシータPasitaさん(女性、77歳)の裏庭にもバランガイ・キャプテンだったご主人が植えたコーヒーの木が100本ほどあり、昨年は生豆で50キロ分を収穫したそうです。コーヒーが高値で取引されると聞いて、個人的に今年も息子さんが苗木を植えているそうです。

トゥブライ町は切り花栽培が盛んで、とくにアントリウムが人気です。日陰が必要なアントリウムを育てるためにアルヌスの木を育ててきていて、それがそのままコーヒーのシェイドツリーとして使えるそうです。


バアヤン村はサヤタン村からさらに奥に入ったところにあります。コーヒー栽培は隣接するバウィBawi集落とタカランTacalanで盛んだそうです。バウィの標高は1266m。


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バウィとタカランもサヤタン同様、国家緑化プログラム(NGP)の対象地。20ヘクタールに15000本のコーヒーの苗木を植樹中だそうです。

多くの家では自宅用のコーヒーの木を庭で栽培していますが、以前から販売用のコーヒーを栽培している農家も5軒ほどあります。バウィ集落でもっとも多くコーヒーの木を育てているのはエルシーさん。昨年の収穫は生豆で200キロ余。古い木に加え、今年もGDPで支給された苗木を1000本植樹したそうです。

収穫時には家族だけでは手が足りず、アルバイトを頼まなくては追いつかないそうで、昨収穫期にはなんと収穫物の50%をアルバイト賃として払わなければならなかったそうです。古いコーヒーの木が剪定や若返りなどの手入れがされておらず、とても背が高くなっていて収穫には木に登るか脚立を使わなくてはならず、そのため収穫はたいへんな重労働。収穫の50%とというたいへん高い割合を支払わなくてはならないそう。

「以前は20%くらいだったはず」

とアブナーさん。

コーヒーの木を育てているのは老人たちが多く、収穫できる木が増えるに従い、収穫期の労働力不足が大きな問題になっていくと思われます。

エルシ―さんはとても杵臼では追いつかず自分で隣町で作られた皮むき器(デパルパー)を購入して使っているそうです


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バウィ集落のお隣りタカラン集落でコーヒー苗木場の管理を中心になってやっているのはバランガイ役員。自宅近くに作った苗木場には8000本の苗木(ティピカ)を育苗中で、水やりなどを行っています。

「乾季の水不足が心配。水が不足すれば生活用水が優先で苗木にやる水はなくなる」

バランガイ役員の個人農園では約250本のコーヒーが生育中。新たに昨年から700本を植えたそう。


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アブナーさんによると

「トゥブライの水問題は深刻。一つは乾季の水不足。標高の高い地域ではどこも水が足りない。

もう一つの水問題は、鉱山で鉱物採掘後の精錬のために使われる薬品による水質汚染」


トゥブライ町のサントニーニョで80年代まで稼働していた鉱山開発会社は、精錬工場で使う大量の水を引くために約2キロのトンネルを掘ったそう。地下水脈の流れが変わったのか、それ以降、高地の水源は多くが枯れたといいます。

廃抗になって30年以上がたち、精錬工場跡は廃墟と化していますが、露天掘りで掘り出した土と薬品を混ぜた大きないコンクリートの池は今もそのまま。トンネルの入口はふさがれているものの工場があったところからは水が噴き出しています。鉱山会社から土地の所有権を取り戻したオーナーは

「スイミングプールを作りたい」。

すぐお隣の高地では水不足で苦しむ人がいるというのになんという皮肉でしょう。

鉱山跡地周辺は金が埋蔵されているため、違法な個人採掘は後を絶たず、水銀、化成シアン物などの劇薬の使用もあるそう。


たった10年しか稼働していなかったサント・ニーニョ鉱山ですが、環境に与えたダメージは恐ろしいものがあります。

30年たった今も遺された水問題は解決されるどころか深刻度を増しているように見受けられます。


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by cordillera-green | 2015-09-20 15:42 | コーヒー

スタディツアーで学んだこと

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 昨年8か月間CGN&TALAのインターンをしてくれた友美さん。帰国後何をしているのかしら? と思っていたら、一時帰国時にたまたま目にした雑誌「ソトコト」の「移住特集ー日本の地方に住んでる」に登場していました。「美の条例」という日本では珍しい景観条例のある漁師町・神奈川県の真鶴町に移住して、夢のゲストハウス・オープンに向けて着々と準備を進めているようです。
 ていねいにていねいに仕事をし、人と付き合い、ちょっとゆっくりだけど、確実に一歩ずつ歩みを進める友美さんには、田舎暮らしがきっとしっくりきているに違いありません。

 そんな友美さんが、バギオ滞在中に立教大学の後輩たちのスタディツアーをアテンドした時のことを、フェイスブックにアップしてくれていましたので転載します。時間がたっても、フィリピンでの経験をその後の考え方や生き方に活かしてくれていて、とてもうれしいです。
 がんばれ友美! 応援していますよ~。

以下転載です。

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English below
最近のニュースや戦争の話を聞くたびに、フィリピンでの出来事を思い出します。

去年、フィリピンのNGOでインターンをしていた時のこと。
大学生のスタディーツアーに同行する機会がありました。

そのスタディーツアーの訪問先に入っていたのが、第二次世界大戦の時に日本人が進駐したというある村。
なんでもその村で日本兵は多くの村民を殺したらしい。

聞くだけで恐ろしくて自分だけだったら絶対いかないのに、
なんとそのプログラムの中には、戦争体験者の方々との懇親会が入っていました。

今こうして書いていると、ほんとよく行けたなーと思います。

懇親会の場へ行くと、戦争体験者の方々、そしてその子孫だと言われる方々がわたしたちを待っていてくれました。

懇親会は穏やかに進みました。戦争の時に日本軍から習ったという日本語の挨拶や、軍歌を歌ってくれたり。

ああ、和やかにもうこのまま終わればいいな…と思っていたら、日本の学生が
「日本人の子孫がこうしてカバヤンに来ることをどう思いますか?」
と、超ストレートに質問しました。

すると、来てくれた中でも高齢の女性が静かに話し始めました。

「あなたたちが来てくれてとてもうれしく思っています。
日本はJICAが病院を作ってくれたり、こうしてNGOがフィリピンのために活動してくれたりと、たくさんのサポートをしてくれていることに、大変感謝しています。
戦争はもう過去のことです。
わたしたちはあなたたちの祖先のことを、もう許しています。
だから、あなたたちも自分の祖先のことを許してあげてください。
嫌悪というのは何もよいものを生み出しません。
わたしたちは過去のためにではなく、今、そして未来のために生きるべきです」

彼女の話をきいて、二つのことを強く感じました。

一つは、人間は許すことができるということ。

家族や大切な人を殺されるというのは、もしかしたらこの世の中で最も許しがたい行為かもしれません。
それを許すことができる人間がいること。
その事実だけでとても救われた気分になりました。

そしてもう一つは、私たちも先祖を許してもいいのだということ。

フィリピンでも「あなたたちの祖先が昔どんなことしたか知ってるの?」「昔日本兵は、生まれたばかりの赤ちゃんを放りなげてやりに刺して遊んだりしてね…」と、日本兵がしたといういろんな話を聞きましたし、東南アジアの人たちからは必ずと言っていいほど戦争のときの話をされます。

その度になんと答えたらいいのかわからなくて、苦しくて、いつしか戦争をした当時の日本人たちに対して嫌悪感を抱くようになっていました。

でも、このフィリピンでの体験でそうした考えは改めようと思いました。
憎しみや恨みからいいものは生まれない。

もう戦争は起こってしまった。

そしてわたしが戦争に関わった日本人の子孫として生きていかなければいけないことにこれからずっと変わりはない。

だからそれを受け入れて、生きていこうと決めました。

過去からは学び、よりよい今と未来のことを考えて、選択していきたいとおもいます。

と、言っても日々のことに追われて忘れてしまうことも多いので、自分への覚書に。

※写真は訪問したフィリピン、カバヤン。飢餓や病気で亡くなった日本兵の骨が山々に今でもそのまま埋まっているといわれています。



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Recently, I often see and hear news about Japanese security-related bills and war. Every time I saw them, it reminds me some memory in the Phillippines.

I was in the Philippines last year as intern of NGO and had a chance to attend the Japanese university student tour.

One of their visiting places was a municipal called "Kabayan" where Japanese imperial army had been during the WWⅡ. And I heard that they killed many people.

Even just going there sounded very scary for me, but father more, there was a program meeting with people experienced the war.

Now, I cannot believe how I could have decided to go there.

When we entered the meeting room, people experienced the war and their decedents were waiting and welcomed us.
When the meeting was started, they showed how to greet in Japanese and sang the songs what Japanese imperal army taught them for entertaining us.

The meeting had gone very peaceful, so I was just praying "Please just finish in this good mood…"
But, one of Japanese students suddenly asked them how they think about that meeting.
Because the descendants of those who killed their family and friends came and asked them to talk, they could have gotten mad or refused that meeting but they didn't and even very welcomed us.

One of old lady started to answer in a calm way.

“ We are so happy that you came here to visit us in Kabayan. You Japanese try to help us a lot. Like JICA, they built the hospital for us and some NGO like CGN are also working for the Phillippines. We are appriciate for them.
It was past. We forgave your ancestors already, so please forgive your ancestors as well. Hatred cannot produce anything good. We should live for present and future, not the past.”

Her words impressed me a lot and made me realized two things.

First, it is possible for human to forgive.

Losing our family members or precious people by killed must be one of the unforgiven things.

But they said they forgave already.
I was so impressed that there are people like them.

And another one is I should also forgive our ancester.

I realized that I hated our ancestors. I had a strong anger toward them. Wherever I go to abroad especially south east Asia, I hear about our ancestors cruel story. So I hated our ancestors a lot and ashamed that I am their descendent. But I noticed if I keep it, it will not produce anything good.

It was happned already.

And it will never change that I am their decedents whose anseceter was in the war.

Since then, I decided to forgive our ancestors and accept that I am their decedents.

But forgiving doesn't mean forgetting about the past. We should know about the past and learned from it. And live for better present and future.

I am so thankful to the Philippines because If I'm not going to the Phillippines I could have never had a opportunity to know about the war and think how I should live as Japanese.

I miss the Pillippines always.



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by cordillera-green | 2015-09-11 14:21 | スタディツアー