「ほっ」と。キャンペーン

映画「クロスロード」撮影コーディネイト日記④―番外編 脚本家・福間正浩さん



映画「クロスロード」の脚本を担当した福間正浩さんは、青年海外協力隊でセネガルに赴任経験がある。だからこそ、赴任地での隊員の葛藤をリアルに描けたのだろう。公開を前にフェイスブックにポストした福間さんのボランティアについての記事をご本人の許可を得て転載。

福間さんの「クロスロード」についてのインタビューはこちらで。

http://www.joca.or.jp/eiga/news/20151110_02.html


~~~~~~~~~~~~~~~~~


明日28日から、脚本を担当した映画「クロスロード」が公開されます。

―――バックパックを背負い、世界を渡り歩いていた若い頃…。
20歳の私は、ナイロビの安宿で、沈没していました。

ある日、ケニア北部のトゥルカナという難民キャンプを通過して来た旅人が、ドミトリーに来て、開口一番言いました。
「酷いモノを見て来た」と。

難民キャンプには、白人のNGO医療ボランティアが入っていたのですが、週末になると、空腹と病気に苦しむ難民を横目に、ビール片手にディスコ大会をしていた、と言うのです。

「ボランティアの実態なんて、結局、そんなもんなんだよなあ!」
義憤に満ちた彼は、吐き捨てるように言いました。

世間知らずだった20歳の私も、同じように「結局、そんなもんなんだ」と、世の中の裏側を「見た気」になったものでした。

―――時は流れ、私の考えは、変わって行きました。

「ボランティア」と「ぶりっ子」は、似ていると思います。

合コンで、皆の靴を揃えたり、料理を取り分けたりする子は、女子仲間の目の敵になります。
「あの子、女同士だと何もしない癖に、男の前だと、イイ子ぶって! それを見抜けない男も、バッカじゃないの!」

でも、男にとっちゃ、その子が普段どうしてるかとか、どういう意図があるのかなんて、全く関係ありません。

ただただ、彼女の行動が助かるし、「私は男の前でも、ありのまま」と、何もしない子より、遥かに有り難いのです。

また、例えば、自分が足が不自由な老人で、電車に乗ったら、席が空いてなくて、目の前に若い男が座っていたとします。

その男は、普段は、「わざわざ、あてつけがましく、俺の前に立ってンじゃねーよ! マジ、ムカつく!」などと内心思いながら、スマホをいじって、老人に気が付かないフリをするような男です。

でも、たまたま隣に彼女がいて、「イイ人」に思われたいが為だけに、席を譲ったとします。
それでも、体がキツイ自分にとっては、とても有り難く、感謝すると思うんです。

―――要するに、人は必ずしも「善意」や「優しさ」という気持ちによってのみ救われる訳ではない。 「偽善」に救われる事もある。

が、一方には、異様に「気持ち」を重視する人もいます。
「善意原理主義」と言うか…。

そういう人達にとっては、前述のボランティアなんて、「悲惨な境遇にいる難民の気持ちを考えない」とんでもない奴ら、という事になります。

でも、彼ら(彼女ら)は、何不自由ない先進国の生活から、志願してアフリカの僻地に来ていて、それだけで、相当なストレスな訳です。

そのストレスを抱えた上で、飢餓と病気に悩む人と「同じ目線」になろうと、ロクな物も食べず、フラフラになって活動する事が、正解なのか?

しっかり栄養と休養をとり、時には酒を飲んでバカ騒ぎして、心身共に万全の状態で活動するのと、どちらが難民にとって、望ましいか?

少なくとも、私が難民だったら、「気持ちはいらないから、しっかりした状態で、俺や俺の家族を助けてくれ」と思います。

―――ナイロビから10年後。 
自分が青年海外協力隊に、ボランティアとして参加していました。

協力隊も、よく「税金の無駄遣い」とか、批判に晒される組織です。

隊員に対しても、「結局」「協力隊に行く奴なんか」「現実逃避して来た奴と、偽善者と、新興宗教みたいに世界平和を唱える、ちょっとズレてる奴らの集まり」みたいな偏見を持ってる人が、少なくありません。

ただ、思うんです。 
仮に、ホントにそうだとしたら、何が問題なんだろうって。

私は、東京の一部上場企業から、ニューヨークではウェイター、イスラエルのキブツ(集団農場)でのオレンジ狩りまで、様々な場所で働いて来ました。

その中で、唯一言える事は、どんな組織にも、表沙汰に出来ない暗部があるし、どんな人にも、墓場まで持って行きたい秘密がある、という事です。

だから、例え汚い部分があったとしても、それは「結局、〇〇じゃないか!」と決めつける「結論」ではなく、「前提条件」
―――つまり、それを受け入れた上でのスタートラインに過ぎないんじゃないのだろうか?

私なんかデジタルな人間なんで、協力隊に参加した人の、動機や気持ちの問題なんか、どーでもいいと思っています。

どーせ、人は本当は何を考えてるかなんて、誰にも見えないのだから。 
でも、行動は、目に見える。

偽善だろうが、邪悪な欲望があろうが、誰かが、その行動によって助かれば、結果オーライで、いいんじゃないだろうか?
少なくとも、何もしないよりは。

―――「これは、『蜘蛛の糸』なんだ」などと、スーパー身の程知らずな事を考えながら、脚本を書いていました。

『蜘蛛の糸』の主人公は、強盗・殺人と悪行の限りを尽くし、地獄に堕ちる。

でも、たった一度だけ、蜘蛛の命を助けた事があって、釈迦が、天界に続く蜘蛛の糸を垂らしてやる、という御存知の話です。

芥川龍之介はデフォルメしてるけど、我々は皆、多かれ少なかれ罪を背負っている訳で、主人公は、我々自身なのです。

例え偽善だとしても、自分の行動で誰かが救われれば、いつかは目の前に蜘蛛の糸が降りて来て、自分も救われるかもしれない。

その糸は、突然切れて、苦い終わりを迎えるかもしれないけれど……

そういう映画になればいいなあ、って思ってたけど、自分で書いてて、ハードル上げ過ぎました…。
芥川の足元にも及ばないけど、「そんな感じ」ってコトで(笑)

―――テレビで、この映画の予告編、殆ど観た事ないでしょ?
そう、予算無いんです。


皆さんだけが、頼りです。御覧になって頂ければ、嬉しいです。
宣伝して頂けると、尚、嬉しいです m(__)m
http://crossroads.toeiad.co.jp/


[PR]

# by cordillera-green | 2015-11-27 15:07 | 映画「クロスロード」

映画「クロスロード」撮影コーディネイト日記③―バギオ俳優編

 映画のロケ地がマヨヤオに加えバギオとその周辺になると決まり、主演のアローディア(コスプレ界の大スター)以外のフィリピン人出演俳優もおもにバギオをベースにしている俳優にしようという話になった(7000の島からなるフィリピンでは地域によって人の顔が違う)。避暑地であるバギオは多くの有名俳優が別荘を持っているし、マニラで活躍していた俳優でバギオの生活環境の良さに惹かれて引っ越してきた人もいる。有名な美術家を輩出してきたことで知られる文化の町・バギオであるが、知られざる名優たちがひそかに暮らしているというのもまたバギオの知られざる顔だ。

b0128901_12095203.jpg
↑バギオいちの観光名所ザ・マンションでの撮影


 コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)は、10年以上前から先住民族の村々で演劇を使った環境教育ワークショップを行ってきた。ファシリテイタ―として、そういった俳優たちにも協力を仰いできた。今回の「クロスロード」に出演の俳優選びには、そういった活動で培ってきたネットワークが大きく役立った。

b0128901_13033051.jpg
↑長田勇市氏のFBページより

b0128901_12151028.jpg
↑右から3人目がフェルディ(写真はフェイスブック「クロスロード」ページより)


 渡辺大が演じる世界遺産の棚田に赴任した農村開発隊員のカウンターパートの農政課職員・マニー役には、フェルディ・バラナグ。フィリピン大学バギオ校で演劇を専攻し、卒業後も主に舞台で俳優や演出家として活躍してきた。フィリピン大学創立100周年記念の演劇制作でも演出を担当するなどの実力派。最近はドキュメンタリー映像作家としても活動し、国内外で数多くの賞を受賞している。2009年にCGNが演劇ワークショップをマヨヤオの高校で行ったときに、ファシリテイターとしてお願いしたのがフェルディだった。そして、そのとき彼が滞在させてもらっていたタパイさんの家が、今回の映画でも農政課職員の家として登場した。


b0128901_12175863.jpg
↑一番右がハンジョン

 黒木啓司(EXILE)が演じるカメラマン沢田が赴任する観光省の同僚を演じたのはハンジョン・カプーノ。5歳の時に今泉光司監督の「アボン―小さな家」で初映画出演。父親が舞台俳優・演出家であったこともあり、小学校卒業後はバギオ市立ハイスクールでパフォーマンス芸術を専攻し、俳優としての英才教育を受けた。大学はバギオの名門カソリック大学、セント・ルイス大学(SLU)で心理学を専攻。フィリピン国内でもトップクラスの劇団といわれる「Tanghalan SLU」に所属し、中心的俳優として舞台に立った。本映画出演後、6月に大学を卒業。将来は映画監督にも挑戦したいというハンジョン。今後の活躍が楽しみな若手俳優だ。



 黒木啓司が演じるカメラマン沢田の上司を演じたのはカルロ・アルトモンテ。ハリウッドで知られていた某有名女優の血を引く舞台俳優。俳優一家で育ったため、オーディションでは「子供のころから演技とともに育った」「僕は学校にいっていない。大事なことは皆ステージで学んだ」と堂々と話したカルロ。拠点としていたマニラから子供たちの教育のために治安のいいバギオに引っ越し、「Open Space」という市民劇団を主宰している。イタリア人の血の混じったハンサムな風貌、堂々とした体格、さすがの血筋か放つオーラもただものではない。撮影ではまったく危なげのない演技でスタッフをうならせた。


 台本を読ませてもらった時から、この役を演じられる女優をバギオで探すのは難しいかもしれないと思ったのが、アローディア演ずるアンジェラの友人・シンディ役。鉱山での作業シーン、出産シーンなどがあり、かなりの演技力が必要と思われた。考えていたマニラ・ベースの女優さんのスケジュールが合わず、フィリピン大学在学中に劇団に所属して演劇を志し、卒業後はCGNの演劇を使った環境教育ワークショップ事業のスタッフをして働いていたカルラに声をかけた。2011年にCGNが主催した先住民族青少年による劇団「アナク・ディ・カビリガンAanak diKabilingna」の日本公演を行ったときも、スタッフと連れて行ったはずのカルラは、リハーサルを見ているといてもたってもいられなかったようで演出家に頼みこんで舞台に立った。いまでこそ女優を仕事にはしていないが、心から「演技」愛するカルラである。

オーディションでのカルラに、すずき監督は「貧しい女性の役柄だが、彼女に清潔感があって、観客の共感を呼ぶだろう」と見事にこの難しい役を射止めた。

 TAO演ずる助産婦にサポートされながら不正出産をするシーンでのカルラの演技は圧巻だった。「現役の女優でないなんて信じられない」と演出スタッフ。演技が終わって宿に戻っての夕食で、スタッフに味噌汁をよそう謙虚な姿勢も好感をもたれた。映画や舞台産業のないバギオだが、大好きな演技の機会が増えていくことを願う。


b0128901_12221517.jpg
↑笑顔のかわいいケリー君(写真はフェイスブック「クロスロード」ページより)

 もっとも人選に苦労したのが、黒木演ずるカメラマン沢田が市場で出会った貧しい少年・ノエル。バギオでオーディションを行い20名以上のかわいい子供たちが集まったが、今一つ決め手に欠けた。CGNが昨年、マウンテン州カヤン村での劇団ア・ラ・プラスの演出家&俳優である杉山剛志氏の演劇ワークショップ開催のお手伝いをしたときに、才能を発揮した参加者の少年のことを思い出した。今年2月に同じ村で現代美術家・梅田哲也氏のパフォーマンス作品の制作をした時も少年は参加者リストには入っていなかったが、会場の小学校講堂の窓から興味深げに覗き込んでいて、特別に参加してもらうことにしたら実に楽しそうにパフォーマンスの輪に加わっていた。

 カヤン村はオーディションをしていたバギオ市から車で5時間の穏やかな棚田の村だ。ロケハンとオーディションのために来比していた監督とスタッフの滞在期間はあと1日だったが、カヤン村の知り合いに頼んでテストが終わったばかりという少年を5時間かけて連れてきてもらった。ほかの子供たちへのオーディションでは一言も口を挟まなった撮影監督の長田勇市氏が

「この子にしよう。全然違うよ。顔が。表情が」

とコメントして、あっという間にノエル役は彼に決まった。

 少年=ケリー君の家は、映画の中の少年そのままに貧しい。両親は別居していてお金を稼ぎために母親は町で英語の家庭教師の仕事をし、父親は鉱山で抗夫として働いている。14歳のケリー君は二人の弟と一人の妹をみて子供たちだけで暮らしていた。栄養が足りていないせいかちょうど役柄の11歳くらいにしか見えない。両親からの仕送りがないこともあり、ケリー君は弟妹を食べさせ、学校で必要なものを買うために村で力仕事を手伝って学校にいけない日もある。映画の中のノエルに自分を重ねることも彼には容易だった

 映画が大好きというケリー君。渡された台本を繰り返し読みこんで、役柄のイメージを明確に描いて撮影現場に現れた。ときにすずき監督に「僕はこういうふうに演技したい」と意見さえ述べた。すずき監督もていねいに彼の意見に耳を傾けてくれた。

 ケリー君にとってこの映画出演の経験は決して忘れられない経験となっただろう。撮影終了後、「映画できたらDVDちょうだいね」と、無邪気に笑ってまたまた5時間かけて弟妹たちの待つ村に帰ったケリー君。手にした出演料から、ずっとほしかった携帯電話を買ってとてもうれしそうにしていた。

「残ったお金はとっておいて兄弟の学校に必要なものと食べ物にするよ」

そんなケリー君のことを「クロスロード」プロデューサーの香月氏に話したところ、CGNがやっている奨学金プログラムを通してケリー君の学費をサポートしてくれると申し出てくれた。新学期が始まり、ケリー君から香月氏あてにイラスト入りのかわいいお礼の手紙が届いた。

「僕は学校を出たら軍隊の特殊部隊に入るのが夢です。でも、アーティストとしていつでも僕が必要だったら、声をかけてね。いつでも行くよ」

アクション映画が大好きなケリー君らしい夢。軍や警察は山奥の村では男子にとってはほとんど唯一の安定収入を得られる仕事でもある。彼の夢に新しい選択肢が加わった。

b0128901_12241754.jpg


 ケリー君演ずるノエルの8年後の青年役には、カリンガ州バルバラン出身のカート・フェルナンデスを推薦した。CGNが主催してきた演劇を活用した環境教育ワークショップにほぼ皆勤賞で、ワークショップ参加者による劇団「アナク・ディ・カビリガン」でおいつも素晴らしい集中力で中心的な役を演じてきた。なによりも同じ役柄の子供時代を演じる役のケリー君と同じく山岳地方の山奥深い村の出身の先住民(カリンガ族)でどこか似た雰囲気があった。

b0128901_12474638.jpg

↑長田勇市のFBページより

b0128901_12271017.jpg
↑カートが主役の「犬」を演じたアナク・ディ・カビリガンの舞台
(2014年マニラTIUシアター)


 CGNの環境ワークショップへの参加をきっかけに演技の面白さに目覚めた俳優たちはほかにも何人か小さな役で出演した。スタッフとしても大活躍してくれたロジャー・フェデリコ。マヨヤオの食堂の定員を演じたベントール・ガナド。マヨヤオでの隊員の歓迎会と結婚式のシーンでイフガオの民族衣装でダンスと歌を披露してくれたのはイフガオ州国立大学(IFSU)でのワークショップに参加したヘイゾン・プマール、レスター・バロットなどの本場のイフガオの踊り手たち。

b0128901_12254159.jpg
b0128901_12262202.jpg

 映像では見られないが、撮影を陰で支えたのは撮影現場でコミュニティとの交渉を辛抱強く行ってくれたフィリピン人コーディネイターたちだ。山岳地方の隅々まで自然と文化を知り尽くし撮影コーディネイト、文化人類学者の調査、ツアーガイドなどとして世界中の来訪者から引っ張りだこのルエル・ビムヤッグ。金庫番のジェネビブ・ゴメス、ドキュメンタリー撮影経験から鉱山開発地域での難しいコーディネイトを担当してくれたジックス・ゲレロ。本物の坑夫エキストラ探しに奔走してくれたCGNの運転手・フレディ・ドンガン。病院シーンでのコーディネイトを担当したCGNスタッフ、リリー・ハミアス。結婚式シーンのコーディネイト担当のCGNスタッフ、レナート・ギリンゲン。

 マヨヤオでのドジョウ養殖シーンの撮影に使う、本物のドジョウ準備・運搬を協力隊員の渡辺樹里さんとともにしてくれたジェイソン・タグユングン。英語の通じない日本人美術スタッフと悪戦苦闘しながらきめ細かいアシストをしてくれたマレン・ロシート。バギオを代表する映画監督でもありフィリピンならではの生活をセットにフルに表現した美術マーティン・マサダオ。マニラベースでありながらコーディリエラ山岳地方の文化をこよなく愛し、山岳地方での映画撮影に多く参加している衣装担当のマルタ・ラヴィーナ。マヨヤオで撮影隊のために料理の腕を振るった平嶋美和。臨機応変に日本人撮影隊とフィリピン人俳優・スタッフとの通訳とアローディアのアテンドをこなした加藤将広。誰一人一度も遅刻しせずエキストラとしても快く撮影に参加してくれたドライバー陣。。。。すべての人の名前を上げきれないが、青年協力隊員たちの世界各国での活動そのままに、日本人とフィリピン人の俳優・スタッフが手に手を携えてこそ、フィリピンでの撮影を成し遂げることができた。すべての関わってくれた人に感謝!


映画「クロスロード」予告編映像はこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=0z8YyrxgGtk


b0128901_12393522.jpg

b0128901_12412472.jpg
b0128901_12492672.jpg
↑フィリピン側美術スタッフ マーティンとマルタ

(長田勇市氏のFBページより)

b0128901_12513034.jpg
↑シェア&ゲストハウスTALAでも撮影された。

b0128901_13143996.jpg
↑協力隊員・渡辺樹里、ルエル・ビムヤッグ、
プロデューサー・香月秀之、助監督・出射均

b0128901_20023046.jpg
↑ほとんど1ヶ月間、家をあけっぱなしだったが
不平一つ言わず協力してくれたキッズたちよ。ありがとう~


[PR]

# by cordillera-green | 2015-11-27 12:00 | 映画「クロスロード」

映画「クロスロード」撮影コーディネイト日記②―鉱山開発編

 当初、「クロスロード」のフィリピンでのロケは、前回のブログで紹介したマヨヤオの撮影以外の部分をマニラのスラム街で行う予定だった。私とコーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)がコーディネイトを担当する予定だったのはコーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)の事業地であったイフガオ州のマヨヤオ町での撮影のみ。
 ところが、撮影日程が限られている中で、治安に対する不安や、渋滞による遅延などが問題となり、急きょマニラで撮影予定だった箇所もバギオ周辺地に移せないかという相談があった。バギオとマニラとは町の規模が違い、抱えている社会問題は違う。当初の台本のままでロケ地を探すのは難しいと話した。

b0128901_09124231.jpg
↑バギオの市場での撮影(写真はフェイスブック「クロスロード」ページより)

 監督と助監督が2月のマヨヤオでのロケハン時に帰国の予定を変更してバギオで撮影が可能かどうかを確認するために、バギオでロケハンを行うことになった。マニラのゴミ捨て場のようなスラム街はないかと聞かれて、庶民の暮らしの中心である市場を訪ねた。ストリートでレジ袋を売る子供たちに声をかけ、うちに連れて行ってくれないか聞いた。「いいよ!」と明るく答えた子供たちは、バギオや山岳民族の出身でなくミンダナオ島の出身。仕事を探して家族と一緒にバギオにたどり着き、母親は市場の路上で野菜を売っている。子供たちも母親を助けるためにわずかでも金を稼ごうと、市場の買い物客の荷物もち、タクシー探しなどをする。悪びれることなく「たまにはスリもするよ」という。学校には行っていない。
b0128901_09193857.jpg
↑バギオの市場での撮影(写真はフェイスブック「クロスロード」ページより)

 連れて行ってもらった彼らの家があるエリアは、路地が入り組み雑然としていたが、マニラのスラム街のような危険や荒んだ感じはない。子供の家族が借りているというアパートも、最低限だろうが家賃を払って貧しくともなんとか暮らしを成り立たせている気配があった。台本にある悲壮感は感じられない。 
 すずき監督に貧困問題がそれほど深刻でないとしたらバギオの社会問題は何か? と聞かれた。都市化が進むバギオでは、マニラにある社会問題のすべてがあるだろうが、そのスケールはマニラには及ばない。映像に捉えた時のインパクトもマニラでの撮影にはどう頑張っても追いつかない。
b0128901_09230169.jpg

 マニラから車で6-8時間の山頂にある人口30万人の中都市・バギオ、2000メートル級の山々が連なるさまざまな先住民族が暮らすコーディリエラ山岳地方ならではの、今直面するもっとも深刻な社会問題、そして環境問題は鉱山開発問題だ。
 コーディリエラ山岳地方には金、銀、銅など豊かな鉱物資源が眠っている。先住民族は古来、金を少量掘り出し、装飾品などにしてきたといわれるが、400余年にわたりフィリピンを植民地としてきたスペインがこの金に目を付けて、金鉱探しの旅をした道が今も山岳地方の山奥深くに残っている。100年以上前には、商業的採掘を目的に米国資本でフィリピン初といわれる大会社による鉱山会社がバギオのお隣のイトゴンにできた。バギオは、高地にある避暑地としてアメリカ占領時代に開発されたといわれているが、同時に近隣の鉱山開発によって経済的な発展を支えられてきたのである。戦前から続く3つの大鉱山会社が今もバギオ周辺で採掘を続けている。 
b0128901_09531886.jpg
↑閉山となった鉱山跡

 中小の鉱山採掘会社は80年代の頭に金の暴落で多くが閉山を余儀なくされた。環境問題など話題に上ることがなかった当時、鉱山会社は露天掘りによって切り崩した山や土砂、劇薬を使った精錬所の排水がたまった池、金を取り出した後の汚染された土壌をそのままに去った。山岳地方には、コメはもちろん野菜を育てることさえできない汚染された土地だけが残され、今もその復旧ができずにいるコミュニティがいくつもある。

b0128901_10041488.jpg
↑サント・ニーニョ鉱山の精錬所施設あと

 以前は棚田での稲作を中心とした自給自足に近い暮らしを営んできた先住民族たちだったが、近年、現金なしには暮らしていけない生活形態に変わりつつある。鉱山開発会社が去って廃墟と化していた地域で、会社が使っていた坑道や新たに自ら手で掘った小さな坑道で手作業で金を掘る仕事は、まともに教育を受けていない先住民族の若い男たちにも体一つでできる仕事だ。さまざまな民族の男たちがグループで廃坑となった鉱山開発地域にやってきて簡易なバラックのような家を建て、毎日ヘッドライトとペットボトルの水を腰に真っ暗な坑道に入っていく。金が入った岩に当たるかどうかはまさに運次第。掘り当てたという男が豪華な新車や大きな家を建て、そのうわさが広がり、廃坑にやってくる先住民の男たちは後を絶たない。
b0128901_09514406.jpg
↑手間に転がるのは金の精錬に使うシアン化ナトリウムの入っていた缶(日本製)

b0128901_10060492.jpg

 掘り当てた金を含んだ岩を精錬し金を取り出すために、簡易な精錬所も次々とできた。どこで手に入れるのか、そこで金精錬のために使用しているのは水銀やシアン化ナトリウムなどの劇薬だ。もちろん排水は垂れ流し。雨期が始まる最初の雨の日には下流の川や池で一斉に魚が浮くと聞いた。坑夫たちが飲用している水が安全であるはずがない。水浴びの水にも不足する。坑道での作業は大雨による鉄砲水や感電などで危険と隣り合わせ。死者が出ることもあるが、うわさで伝わるだけで表立たったニュースになることもほとんどない。
b0128901_10131595.jpg
↑小さな精錬所

 働く坑夫たちも、危険を承知の上である。劇薬使用による環境汚染などかまっている場合ではない。もちろん自身の健康もあとまわし。とりあえず田舎にいる家族に渡す金がほしい、あるいは、田舎の家族・親戚に自慢できる金で買った「もの」がほしい。

「盗むよりいい」と坑夫の一人が言った。
「少なくともここで俺らは自分の体を使って金(カネ)を稼いでいる」

「ポケットマイナー」と呼ばれる鉱山開発地域に住まう個人採掘に携わる抗夫達の暮らしにはマニラのスラム街とはまた違う、哀しい暮らしがあった。
b0128901_10145672.jpg
↑Gold Panningと呼ばれる鉱山地域の川などで行われる砂金採り。
坑道には女性が入ることは禁じられていて、女性は坑道には入らず、砂金採りに従事する。

 映画「クロスロード」に私たち環境NGOが関わるのであれば、撮影関係の制作プロダクションがでいない環境NGOだからこそできる関わり方をしたいと思っていた。ここルソン島北部で青年海外協力隊員の若者たちにたくさん会ってきた。映画「クロスロード」に登場する3人の隊員同様に、コミュニティの発展に大きな功績を残すには力不足な人も確かにいたが、会ったすべての若者たちの「気持ち」は全員とても熱いものだった。多くの隊員が地域の人に温かく受け入れられ、第二次大戦中の「残虐極まりない日本人像」とは違う新しい日本人の印象を確実にフィリピンの人の間に残していっている。この50年にどれだけの協力隊員が世界の国々で汗と涙を流し、その「想い」をその地に刻んできただろう。協力隊50周年記念の映画だからこそ、「50周年。やったね。よかった。頑張った。おめでとう」だけの映画ではなく、協力隊員たちの想いそのままに、より良き世界のために、現実社会でのリアルな問題提起があってもいいかもしれないと思った。すずき監督を鉱山開発地域に案内したのはそんな思いからだ。
b0128901_10161669.jpg
↑Tailing Pondと呼ばれる、金を取り出した後の廃棄物を流してできた池。
異様なエメラルド・グリーンをしている。

b0128901_10194841.jpg
↑撮影に使わせてっもらった坑道の入り口

 数週間後にロケハンを反映して書き直された台本では、主人公のカメラマン澤田がようやく見つけ出した「撮りたい」対象として鉱山開発地域の先住民族の人と暮らしがあった。
b0128901_10211331.jpg

ベンゲット州の鉱山開発についての記事(英語)と写真

[PR]

# by cordillera-green | 2015-11-25 09:37 | 映画「クロスロード」

映画「クロスロード」撮影コーディネイト日記①―マヨヤオ編

b0128901_22120893.jpg
 2015年、コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)はJICA青年海外協力隊50周年記念映画「クロスロード」の撮影コーディネイトのお手伝いをした。

 50年の間に青年海外協力隊のOB/OGはなんと40,976名にもなるそうで、青年海外協力協会(JOCA)という団体を結成し、情報交換などを行っている。JOCAが協力隊の隊員たちの海外の様々な活動現場でのリアルな日常とその後の人生にその経験がどんな影響を及ぼしたかをテーマに劇映画することになり、50年間で1583人の隊員を受け入れてきたフィリピン(マラウィに次いで2番目に派遣隊員数が多いそう)が撮影ロケ地として選ばれた。

 映画のストーリーではフィリピンに派遣された3人の隊員が主人公。一人は農村開発隊員として世界遺産の棚田の村に派遣、もう一人の女性は助産婦を指導するために病院に赴任、そして主人公のカメラマンは写真の技術を教えるために町の観光省に派遣されたという設定だ。物語は3人がそれぞれの赴任地での出会い、挫折、ジレンマ、ほのかな恋などを通して、人間として成長していく姿と帰国後の人生を描いている。隊員を演じる俳優陣はEXILEの黒木啓司、渡辺大(あの渡辺謙の息子さん、杏ちゃんの兄貴)、ファッション・モデルや女優として世界を舞台に活躍するTAO


b0128901_22134706.jpg

 渡辺大が演ずる農村開発隊員の赴任地がルソン島北部の棚田であるという設定から現地コーディネイトをやってほしいという話が舞い込んだ。農村開発隊員は棚田でドジョウ養殖を指導するという役柄で、バギオ近辺の棚田でロケに敵した地を探したが、やはりお話のモデルとなった現役のドジョウ養殖隊員の赴任地である世界遺産の棚田にはかなわない。



b0128901_22104723.jpg


 マヨヤオは一般によく知られている世界遺産の町・バナウェから断崖絶壁の悪路を3―4時間のところに広がる棚田の村。マニラからバナウェ経由かふもとのイサベラ州経由で陸路15時間はかかる遠隔地だ。山肌に広々と広がる棚田の中には古い伝統的な高床式の家屋がぽつんぽつんと建ち、人々は古来あまり変わらないと思われる素朴な暮らしを営んでいる。マヨヤオの棚田も、もちろんユネスコによって世界遺産に指定されているのだが、なぜか「世界遺産の棚田=(イコール)バナウェ」という先入観がフィリピン人にはもちろん世界からの観光客にも広がっていてとんと観光客が訪れない。


b0128901_22112897.jpg


 ホテルもレストランもないこのマヨヤオでの撮影を、制作班は「やはりこの景色しかない!」と何回かのロケハンのあとで決定した。日本からは25名ほどの撮影隊が来るという。観光客が少ないためほとんど使われていない丘の上に建てられたユースホステルを貸し切り、食材を持ち込んで、日本食を作り、棚田の中でのハードワークに従事する撮影スタッフに供しようということになった。

 バギオに住んでいる料理上手の日本人女性にシェフを依頼し、ロケハンで撮影場所からもっとも近い(といっても車で3時間!!)町の市場とスーパーマーケットで手に入る素材を調べ、足りない食材や調味料をバギオ、そして、制作スタッフに日本から運んでくるように依頼した。ユースホステルのキッチンは、早朝出発の多い撮影班の朝食、棚田周辺でのお弁当仕出し、疲れきって戻ってくるスタッフたちのペコペコの胃袋を満たし、憩いのひと時を与えようという夕食の準備で、撮影現場に勝るとも劣らない忙しさだった。


b0128901_22131052.jpg

 マヨヤオでの撮影は、ボンガン、ポブラシオン、バランバンなどの村人たち、町長、副町長、観光課、開発課、農政課をはじめとする自治体各部署、スタッフの警護を受け持ってくれた地元警察、そしてなによりも青年海外協力隊でこの村に2年間滞在して地道に根気強くドジョウの養殖指導を行ってきた渡辺樹里さんと事業の受益者たちの献身的な協力なしには成り立たなかった。素晴らしい映像を収めたいとの思いからのさまざまな撮影チームからのリクエストにも村人たちは笑顔で応え、協力を惜しまなかった。


b0128901_22144283.jpg

 大型台風の進路がマヨヤオ直撃ときいて青ざめたチームだったが、伝統のシャーマンでもあり村人たちの辛抱の厚い副町長が8羽の地鶏をつぶし、棚田でとれた米から作ったタポイと呼ばれる瓶のどぶろくで撮影の無事と成功を地域の神に祈ってくれたせいか、フィリピン上陸直前で跡形もなく姿を消すという奇跡も起きた。

b0128901_22141527.jpg


 ドジョウ養殖を教える隊員役を演じた渡辺大さんは、草の根で住民の立場に立って指導してきた渡辺樹里さんそのままに、快適とは決して言えないロケ地の環境に愚痴一つこぼさず、地元自治体のカウンターパートである農業省の役人との心通う重要な場面を感動的に演じてくれた。

b0128901_22224030.jpg

 結婚式や歓迎会のシーンでマヨヤオに伝わる歌と踊りを披露するため、イフガオ州国立大学(IFSU)の伝統芸能グループの学生たちが駆けつけてくれ、夜遅くまで練習を重ねてくれた。


b0128901_22124294.jpg
b0128901_22155933.jpg


 撮影監督の長田勇市氏は、ロケハン時からマヨヤオの棚田の美しさに魅了され、一人早朝起きだして朝日の映る棚田の清澄な空気を映像に収めた。また、月夜の幻想的な棚田を捉えるために闇の中を展望のいい丘に向かい撮影を行った。

(長田氏のマヨヤオでの撮影中の写真がこのサイトにあります。http://www.pronews.jp/column/20150804110039.html

b0128901_22370015.jpg

 マヨヤオの撮影だけでお願いしたエキストラは総勢200人近い。地元高校の元校長先生が、大戦で腕を失った長老という難しい役で出演してくれた。まさに、村人たちの力によってなしえたマヨヤオでの撮影だった。

b0128901_22152149.jpg


 映画「クロスロード」では、一流の映像カメラマンによるマヨヤオの棚田のさまざまな表情がみられるはずだ。その美しい景色と、あたたかな人々のこころが、いつまでも続いていくことを願ってやまない。


b0128901_22363149.jpg



[PR]

# by cordillera-green | 2015-11-23 09:25 | 映画「クロスロード」

吉田智久さんの演劇を活用した環境教育ワークショップ

 コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)は、本年度、「マウンテン州における教育職員を対象とした環境指導者養成講座」プロジェクトの3年目を迎えています(地球環境基金助成)。さまざまなアートを活用して、保育園からハイスクールの先生までの幅広い教育関係者に対して、それぞれの教育現場で実践できるような体験型の環境教育ワークショップの手法を指導しています。ファシリテイタ―にはフィリピンのこの分野では第一人者のアーティストをはじめ、日本からもたくさんのアーティストの方にご協力いただいています。

 10月に実施した、演劇を使った環境教育ワークショップのファシリテイタ―として、日本から来てくれた吉田智久さんにワークショップ経験について寄稿いただきました。吉田さん、ほぼ5年ぶりの、コーディリエラ山岳地方での演劇ワークショップでした。

~~~~~~~~~~~~~~~

b0128901_11021764.jpg

10月中旬、フィリピンへの出発を控え、5年振りのCGN環境演劇ワークショップをどのように進めるか、私の頭の中ではシュミレーションが大忙しだった……

……まずこのプログラムのラスト、そしてその成功場面を想像し、そこから逆算をしてみよう。

来年3月に行われるマウンテンプロビンス州バウコ町のお祭りで、各村のハイスクールがその村の環境を題材にした演劇を披露しあう……

というのが、今回のプログラムのラスト。

各村の特色が現れていて、見る人々に興味深い演劇が上演され、作り手にとっても思い出深いものができる……
(すなわちバウコ町の人々が立場はそれぞれも自分たちの環境についてなんだかの思いを巡らせる)

というのが、その成功場面。
とイメージする。

b0128901_10521109.jpg


ちなみに、各ハイスクールの先生(生徒と演劇を製作する予定の先生)が、今回のワークショップ参加者(受講者)。

「各村の特色が……」という部分、題材やストーリーに関しては日本にいる私が教えられるようなことはないが、演劇的に題材やストーリーにアプローチしていく手法を体験してもらうことはできる。

「見る人々に興味深い……」という部分、舞台と客席という劇場構図になれていない(むしろ概念が無い)人が多いというのは5年前の仕事で分かっていたので、そこは諸々仕掛けを用意しておく。

「作り手にとっても思い出深い……」という部分、これの作り方を教えるというのは少し難しい。参加者が各村のハイスクールに帰って私の知らない人たちと作業をするのだから、そこで起こることは想定できない。ただ今回、このワークショップに参加したことが「思い出深い」となれば、その経験こそが思い出深い演劇を作る手法となりうる。
だからこそ、私が一番注意を払うのは、ワークショップの意味や技術や内容の前に、このワークショップの時間内すべてが、なるべく多くの参加者(できれば全員)にとって、退屈でなく、楽しい、興味深いものになっているか……「常に」そうなっているかだ……。

大阪・関空から飛行機で4時間、マニラからバスで5時間、バギオからジープで6時間かけてマウンテンプロビンス州バウコ町へ

b0128901_10580109.jpg

さて、ワークショップが始まった。
参加者が少ないというか、揃ってない。でもそれは想定内。「だるまさんがころんだ」で遊びながら遅刻者を待ちます。
ある程度揃ったところで、まずはお互いを知りあうことからと自己紹介メニュー。「他己紹介」に「尻字」もしました。
午後にはチーム分けして、バウコ町の自然を切り取ったタブローを発表してもらう。これも参加者を知るためのお試しワーク。
「表現の要素」なんて講義もしつつ、初日終了。
皆さま、大人であり先生であられるので、大変お行儀よくワークに参加してくださる。
しかし弾けないのも事実。
初日を終えてのコメントも、皆「楽しかった」「勉強になる」といったありきたりコメント。

b0128901_10493105.jpg


二日目はフィリピン側のファシリテーター、リネットさん&ケネットさんコンビが主導してくれる。
環境についての講義と、学んだことを短い劇にして発表。
三日目は、記憶にアプローチするワークや、仮面をつけての表現トレーニングの体験など。
どのワークも無難にこなしていきます。
しかしながら、3日間のワークで「超」盛り上がるという場面もないのが事実。
盛り上がるのは、何らかの発表をやるとき。

それならばと残り二日は方向転換。
二日間で15分から20分の劇を作っちゃおう。
本番と同じくらいの長さの作品を作ってみちゃおうってしました。
全体を2つのグループに分け作品を製作します。
基本的には、参加者の自作ながら、ファシリテーター陣もグループの中に入り積極的にアドバイス。
私も輪に入り、皆を質問攻めにします。
ストーリー作りで、皆々好き勝手やりたいこと言うのでまとまらないって?
「どんな意見が出てる?」「あなたの意見は?」「具体的に言うと?」
私の質問に答えているうちに、あれれ? 勝手に話がまとまっていきました。
そうなんです。
「それじゃなくてー」なんて人の意見を批評していたら話は進まない。
でも「こうしたい」ということを明確化していくと意外とまとまるものなんです。
稽古は盛り上がり、最終的には両グループ30分近い大作?を発表してくれました。

b0128901_10590162.jpg


即興劇のトレーニングなどにも時間を割き、一応演劇へのアプローチや、表現の基礎知識など予定していたワークはこなしました。
どのワークにも先生方積極的に参加してくださり、優等生なワークショプができました。
あとは演劇の本質に迫れたかどうか?
環境を題材にした演劇が教育となり得るよう、心に響くワークができていたか? 伝わっていたか? 持ち帰ってもらえるか?

最終日の最後のワーク、「全体を振り返っての評価・共有」は、私にその答えをくれました。
その日の先生方のコメントは、ありきたりではなく個性にあふれたものでした。

「体はヘトヘトです。でもなんだか気持ちいい。」ジョエイ先生
「今まで演劇なるものの機会は避けて生きてきたが、今は私たちの町についての作品を早く作ってみたいと思っている。」リザ先生
「今までセミナーというのはウトウトしにいくものだったけど、今回は違って楽しい時間だった。一度も眠くなることはなかった。」ジュディー先生
「私の生徒たちにも、ダルマサンガやカッコーをやらせるのが楽しみです。」エイシー先生
「カンキョー・ホゼン・カツドー」ローデス先生
「私に環境演劇が作れるのか? イエス! 演劇にはNo は無い。」エリザベス先生

b0128901_11000759.jpg

ワークショップのその他の写真はこのWEBアルバムにあります。


●5年前の吉田さんのCGNの活動についての記事。

●吉田智久さんのプロフィール(5年前のデータです)




[PR]

# by cordillera-green | 2015-11-09 11:14 | 環境教育

鉱山開発からの脱却・コーヒー栽培にかける人々~トゥブライのコーヒー栽培地レポート 


 コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)では、2010年からトゥブライ町アンバサダー村のコロス集落で神奈川県のNPOWE21ジャパン」とともに「コーヒーの森づくり」事業を行ってきました。2014年度にはキープ協会の協力を得てお隣のマムヨッド集落にもコーヒーの苗木9500本を植樹しました。アンバサダー村ではその他の集落でもコーヒー栽培が盛んと聞いて、マムヨッド集落から周辺集落に足を延ばしてみました。

 

 アンバサダー村は大変貧しく、人々は現金収入につながる手段を探しています。標高や気候はコーヒー栽培に適した地域なのですが、栽培技術の指導もいきわたっておらず、また、苗木も足りません。古いコーヒーの木もありまずがほとんどが伸び放題。きちんと手入れをし、収穫量を上げられれば現金収入にもつながります。また、収穫したコーヒーチェリーを生豆にするまでの適切な加工方法の指導がされ、加工に必要な機材の支給がされたら、かなりおいしいコーヒーができると思います。


 住民の方々の中には、「コーヒー栽培がお金儲けにいいらしい」とうわさで聞き、少しずつでも自力で苗木をつくり新たに植え始めている人も見られます。「栽培技術指導」「苗木支給」「加工技術指導」「加工資材支給」そして「マーケットにつながる組合などの設立と運営」など、せっかく自力で植え始めたコーヒーが暮らしの向上に役立たせるためにサポートできることは数限りなくあると感じました。

 

 今回の視察を通してわかったのは、この地域全体が抱えている問題が「水」であるということです。とくにアンバサダー村の中でも標高の高い地域の乾季における水不足は深刻です。料理や水浴び、洗濯にも水が足りないのに、とても苗木にあげる水がないというのが現状です。

 水源枯渇の原因は1970年代に稼働していたアンバサダー村のサント・ニーニョ鉱山にあるといわれています。露天掘りで掘り出した金の精錬のために大量の水がいるため、鉱山会社が2キロに及ぶ大きなトンネルを掘ったのです。それ以降、今までの水源が枯れ、水はすべて下方にあったサント・ニーニョに流れ出ることになったそうです。

 鉱山は1980年代前半に廃坑となりましたが、変わってしまった地下水脈は元には戻りません。今でも精錬所のあとには水があふれ、「もったいないから、スイミングプールにしよう」という話も持ち上がっています。以前は劇薬を使って精錬に使っていた貯水施設に水を貯めようというのです。世界一大きいスイミング―ルになること間違いなしです。なんという皮肉。


b0128901_14571806.jpg



 トゥブライ町役場の環境資源省事務所のアブナーさんははっきり言います。

「この町のもっとも深刻な環境問題は、標高の高い地域の深刻な水不足。そして標高の低い地域の水の薬品汚染」

 廃坑になって30年以上がたち、精錬に使われていた薬品の恐ろしさを忘れたのか、また、お金の必要な暮らしが蔓延してきたせいか、再び、小規模の個人採掘があちこちで見られます。中国系といわれる中規模の鉱山開発も始まり、今も集落内の土砂崩れ・地盤沈下に苦しむマムヨッド集落の人は村人全員の署名を集め「いかなる鉱山開発も認めない」という嘆願書を提出しました。


b0128901_14584391.jpg


 この地域でコーヒー事業を行うことには、「鉱山開発に代わる生計手段を提案する」という意義が大きいのです。近年、先住民の人々の暮らしは変わり、現金なしには生活できなくなっています。鉱山開発によって先祖代々の大地を傷つけ水を汚すという、苦渋の決断を先住民族自身がすることなく、生計を成り立たせていくための「最後の望みがコーヒー栽培なのです」(アブナーさん)。


~~~~~~~~~~~~~


以下、今回訪問した集落のコーヒー栽培に関するレポートです。



マムヨッド集落Mamuyodとアンカワイ集落Ancaway

 マムヨッド集落はハルセマ・ハイウエイからコロスに入る道の1本先を右手に入って約30分の集落。78家屋98家族が暮らしています。200910月の台風ぺペンでコロス集落と同じく集落内に大きな土砂崩れが起き、環境資源省(DENR)のMGB事務所により、集落全体が居住には危険との調査結果が出て、コロス集落地近くのタバオ集落に移住を勧められました。政府(DSWD=社会福祉省)のサポートで資材代が各家屋に7万ペソ支給され、全住民が再定住地に家を建設中。しかし、畑がマムヨッド集落にあるため、だれ一人完全に移住はしていま

せん。集落内では地盤沈下があちこちで起きているほか、台風や大雨、長雨の旅に土砂崩れは拡大しているそうです。


b0128901_13443583.jpg

 トリニダードからのジプニーは11便。集落内にカソリックの一団体が14haを所有し、8年くらい前から有機野菜とコーヒー栽培のモデル農場を始めましたが、土壌浸食、土砂崩れが激しく、プロジェクトを中止し今は土地は売りに出ています。カソリックのシスターたちの協力を得て、コーヒーと有機農業で村おこしを!と張り切っていたマムヨッド集落の人にとって、2009年の台風による土砂崩れと土壌浸食・地盤沈下の進行は大きな痛手でした。

 キープ協会とCGNが行った植樹事業の現地パートナーである住民組織のCitio Mamuyod CommunityAssociation(CMCA)のプレジデントのジミーさん

「先祖代々の土地を守るため、できることはなんでもしたい」

「事業で配布された数の苗木では不十分。もっと苗木をサポートしてほしい」

 マムヨッド集落ではこの事業の前から多くの家で家庭用で飲むためのコーヒーの木を家の近くで栽培していました。また、数軒が販売にも回せる本数のコーヒー栽培をしています。もっとも多くのコーヒーの木を育てているのはダンシオさん(97歳)。高齢であるため、精神障害のある二人の息子が収穫や加工を行っているそうです。1962年に植え始めたそうで1000本近いコーヒーの木を育てていると思われますが、手入れはされておらず伸び放題。古い木は若返りなどの手入れが必要と見受けられました。木製の自家製の手動皮むき器(デパルパー)を使って収穫後の加工はしているそうです。


b0128901_13485115.jpg

b0128901_14040986.jpg


 集落の問題は乾季の水不足。隣のアンカワイ集落にある水源林24ヘクタールをマニラの実業家が購入し、近年ほか地域からの移住者に貸しはじめ、森を切り開き野菜畑に転換し始めたそう。

CGNで水源の森を買い取って、コーヒーを植えてくれないか? 24ヘクタールが無理なら1ヘクタールでもいい。あの森が野菜畑になってしまったら、マムヨッドの水は完全に枯渇するだろう」

とジミーさん。

b0128901_13520314.jpg



 マムヨッドのお隣りはたった6家屋(11家族)だけの小さなアンカワイ集落。住民たちはサン・ラモン種のコーヒーを栽培しています。フィリピンのコーヒー会社「Figaro」が仲買人を通じて生豆を買付けに来ていたそうですが、最近は来たり来なかったりでマーケットが安定していないとのこと。


●ロソック集落Los-oc

 アンカワイ集落とナルセブ集落をつなぐ未舗装の道路沿いにある7家屋の小さな集落がロソック。集落の多くを松林に覆われていますが、近年、所有者が切り売りをはじめ、移住者(キブンガンやブギアスの野菜農家)によって野菜畑に転換されつつあります。ロソックの森はトゥブライの貴重な水源であるため、トゥブライ町の環境資源省も阻止に必死ですが、もともと先祖代々の土地を所有していた有力者が個人に販売して私有地となっているため、コントロールが難しいそうです。

 集落内の一等地はバギオの実業家が購入し 以前はバギオの財団「Shongtog Foundation」が有機モデル農場がとして使用していたそうです。しかし、今は稼働しておらず広大なサヨテ畑となっています。手入れがされてないせいか、サヨテにも病気が見られて、もったいないばかり。

 集落の住民は以前から家庭用にコーヒーを裏庭栽培していますが、多くが手入れがされておらず伸び放題でした。

 実はこの集落にはCGNスタッフのレナートの実家があり、そこでは約600本が手入れされて生育中です。レナートの父親は1990年からコーヒーの木を植え始め、少しずつ増やしていったそうです。

ここでも集落全体の問題は水不足。雨水をためて生活用水としているとのことでした。


b0128901_13543507.jpg

b0128901_13553120.jpg


b0128901_14180637.jpg


●サポアン集落Sapoanナルセブ集落Nalseb


 ハルセマ・ハイウエイからマムヨッドに行くのと同じ道を入り、三叉路を右手に入ってからしばらく行くとサポアン。その奥がナルセブです。サポアン、ナルセブとも世帯数は各約80軒。ナルセブは集落内の大きな面積をカトリックの修道院が保有しており、水源として森を保全しています。ナルセブのさらに奥にはラバイLabay集落があり、隣のボコッド町と接しています。

 ここでも多くの住民が裏庭で家庭用のコーヒーを育てているが手入れはされていません。バランガイ役員のモーセスさんの家には新旧約500本のコーヒーの木が栽培されています。昨年は20キロ程生豆を収穫できたそう。ほかにもナルセブ集落では数軒が同じくらいの本数を育てているとのこと。いままで、NGOや政府によるコーヒー関係のプロジェクトが行われたことはなく、住民もコーヒー栽培への関心は余り高くないとのこと。むしろトゥブライではちょっとしたブームになっているレモン栽培に関心を示しているようです。


b0128901_14102685.jpg


 「コーヒーは収穫後、生豆にするまでの作業がとてもたいへん。皮むき機などの機材もないし、あまり本数を増やしても、加工処理ができないかもしれません」とモーセスさん。


●アキキAkikiAquique)集落

 ナルセブへ行く道から支道を下ったところにある15軒ほどの集落です。CGNの元スタッフで現在双子を育てながら州庁舎で働くジョセリンの実家があります。標高が低いため、今回訪問した集落の中で唯一水不足問題がない集落でした。


b0128901_13573836.jpg

アキキ集落ではジョセリンのお母さんともう1軒が家庭用以上の量を収穫できるコーヒーの木を育てているそうです。それぞれ新旧の木を混ぜてそれぞれ500本ほどのコーヒーの木があるとのこと。

「毎年少しずつ苗木を植えているが、収穫後の杵と臼での作業が大変で、実ったチェリーをすべて収穫できないこともあります。皮むき器(デパルパー)がないのでトウモロコシの粉砕機を工夫して使っているが気を付けないと豆がつぶれてしまいます。いい機械がほしい。そうしたらもっとコーヒーの木を植えたいです」


b0128901_14123062.jpg


 


[PR]

# by cordillera-green | 2015-10-07 15:11 | コーヒー

トゥブライのコーヒー産地・ダクラン村とバアヤン村に行ってきました

b0128901_15055727.jpg

コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)はバギオから約1時間のトゥブライ町で、コーヒーのアグロフォレストリー栽培プロジェクトを行っています。アンバサダー村コロス集落に加えて、昨年からはアンボンドラン村とマムヨッド集落でも開始しました。

トゥブライ町ではダクラン村やバアヤン村にもコーヒーの木があると聞いて、町の環境資源オフィスMENROのアブナーさんの案内で訪ねました。

ダクラン村でコーヒー栽培をしているのは、サヤタンSayatan, スヨックSuyoc, バンホBangho, ジャガオJiagao, プミアスPumias, コノコクConocog, ナムダンNamudanなどの集落だそうです。いずれの集落にも昔からコーヒー栽培をしている農家があり、20年以上前に植えたというコーヒーの木がありますが、伸び放題。古い木に加え、最近、コーヒーが収入源となると聞いて、新しく個人で植え始めている農家もあります。


b0128901_15130931.jpg


特にサヤタン集落は、国家緑化プログラムNGP(National Greening Program)の植樹事業で、環境資源省(DENR)からトゥブライ町に割り当てられた100ヘクタールの植林事業地のうち80ヘクタールが位置し、数年前から大々的にコーヒー栽培に乗り出しています。この5年で町の事業で植えられた苗木は36,000本(バアヤン村と合わせて56,000本)。以前からのコーヒーの木と合わせると数年後にはベンゲット有数のコーヒー豆の産地になるかもしれません。

コミュニティ管理の苗木場も作られていて18,000本の苗木を育苗中で、2017年までに移植する予定だそうです。切り花として販売用のアントリウム栽培をしている黒ネットをシェイドとして利用してコーヒー栽培している農家が見受けられました。トゥブライならではの栽培方法です。



b0128901_15113883.jpg

この辺りで古くから生えているコーヒーの品種はほとんどがティピカ。苗木作りの種も、もともとそこにある木からとっているのでティピカ種です。

サヤタン集落のコーヒー栽培農家のリーダー的存在はヴィーナさん。彼女の農園には7000本以上のコーヒー(以前からのもの2000本、新しく植えたもの5180本)が生育中です。息子の一人が日本で働いているとのことでたいへんな親日家。ご主人は他界し、子どもたちはいちばん下の小学生以外は町に出てしまって、二人暮らし。コーヒーの収穫は近所の子供たちを集めて手伝ってもらうとのこと。

とにかく収穫後の皮むきの作業が杵と臼でやらねばならずとても大変だそうです。水洗式で加工しているそうですが、乾季は水不足で水の確保が大きな問題だそうです。

サヤタンには最近、コーヒー栽培農家の団体Sayatan Coffee farmers Association(SACOFA)が設立され、DOLE(労働省)に登録済み。メンバーは108名の中心となっているのもヴィーナさん。MENROのアブナーさんいよると

「たいへんきちんと運営されています。ヴィーナさんのリーダーシップもすばらしい」

とのこと。


b0128901_13094214.jpg

お隣に住むベロニカさんはヴィーナさんの義理の妹さん。彼女の農園にはコーヒーとバナナを中心としたアグロフォレストリー農場で、コーヒーは約1500本を栽培中です。ミミズ堆肥やコンポストピットもあり有機農業をきちんと実践しています。サヤタンではヴィーナさんを含む5軒の農家がTOPFATublay Organic Practitioner Association)のメンバーとなり有機農業を実践しているそうです。


サヤタン村の中心はカパンガンに向かう幹線道路粗衣のバンホBangho集落です。バランガイ・ホールもバンホにあるそうです。幹線道路沿いに住むジェリーさん(男性)の裏庭にも古くからコーヒーの木がありました。本数はわからないが昨年は生豆で約50キロ分のチェリーを収穫したとのこと。ジェリーさんの家の近所のパシータPasitaさん(女性、77歳)の裏庭にもバランガイ・キャプテンだったご主人が植えたコーヒーの木が100本ほどあり、昨年は生豆で50キロ分を収穫したそうです。コーヒーが高値で取引されると聞いて、個人的に今年も息子さんが苗木を植えているそうです。

トゥブライ町は切り花栽培が盛んで、とくにアントリウムが人気です。日陰が必要なアントリウムを育てるためにアルヌスの木を育ててきていて、それがそのままコーヒーのシェイドツリーとして使えるそうです。


バアヤン村はサヤタン村からさらに奥に入ったところにあります。コーヒー栽培は隣接するバウィBawi集落とタカランTacalanで盛んだそうです。バウィの標高は1266m。


b0128901_12551446.jpg

b0128901_13063644.jpg

バウィとタカランもサヤタン同様、国家緑化プログラム(NGP)の対象地。20ヘクタールに15000本のコーヒーの苗木を植樹中だそうです。

多くの家では自宅用のコーヒーの木を庭で栽培していますが、以前から販売用のコーヒーを栽培している農家も5軒ほどあります。バウィ集落でもっとも多くコーヒーの木を育てているのはエルシーさん。昨年の収穫は生豆で200キロ余。古い木に加え、今年もGDPで支給された苗木を1000本植樹したそうです。

収穫時には家族だけでは手が足りず、アルバイトを頼まなくては追いつかないそうで、昨収穫期にはなんと収穫物の50%をアルバイト賃として払わなければならなかったそうです。古いコーヒーの木が剪定や若返りなどの手入れがされておらず、とても背が高くなっていて収穫には木に登るか脚立を使わなくてはならず、そのため収穫はたいへんな重労働。収穫の50%とというたいへん高い割合を支払わなくてはならないそう。

「以前は20%くらいだったはず」

とアブナーさん。

コーヒーの木を育てているのは老人たちが多く、収穫できる木が増えるに従い、収穫期の労働力不足が大きな問題になっていくと思われます。

エルシ―さんはとても杵臼では追いつかず自分で隣町で作られた皮むき器(デパルパー)を購入して使っているそうです


b0128901_13073323.jpg


バウィ集落のお隣りタカラン集落でコーヒー苗木場の管理を中心になってやっているのはバランガイ役員。自宅近くに作った苗木場には8000本の苗木(ティピカ)を育苗中で、水やりなどを行っています。

「乾季の水不足が心配。水が不足すれば生活用水が優先で苗木にやる水はなくなる」

バランガイ役員の個人農園では約250本のコーヒーが生育中。新たに昨年から700本を植えたそう。


b0128901_12515071.jpg


アブナーさんによると

「トゥブライの水問題は深刻。一つは乾季の水不足。標高の高い地域ではどこも水が足りない。

もう一つの水問題は、鉱山で鉱物採掘後の精錬のために使われる薬品による水質汚染」


トゥブライ町のサントニーニョで80年代まで稼働していた鉱山開発会社は、精錬工場で使う大量の水を引くために約2キロのトンネルを掘ったそう。地下水脈の流れが変わったのか、それ以降、高地の水源は多くが枯れたといいます。

廃抗になって30年以上がたち、精錬工場跡は廃墟と化していますが、露天掘りで掘り出した土と薬品を混ぜた大きないコンクリートの池は今もそのまま。トンネルの入口はふさがれているものの工場があったところからは水が噴き出しています。鉱山会社から土地の所有権を取り戻したオーナーは

「スイミングプールを作りたい」。

すぐお隣の高地では水不足で苦しむ人がいるというのになんという皮肉でしょう。

鉱山跡地周辺は金が埋蔵されているため、違法な個人採掘は後を絶たず、水銀、化成シアン物などの劇薬の使用もあるそう。


たった10年しか稼働していなかったサント・ニーニョ鉱山ですが、環境に与えたダメージは恐ろしいものがあります。

30年たった今も遺された水問題は解決されるどころか深刻度を増しているように見受けられます。


b0128901_15163591.jpg


[PR]

# by cordillera-green | 2015-09-20 15:42 | コーヒー

スタディツアーで学んだこと

b0128901_13524108.jpg



 昨年8か月間CGN&TALAのインターンをしてくれた友美さん。帰国後何をしているのかしら? と思っていたら、一時帰国時にたまたま目にした雑誌「ソトコト」の「移住特集ー日本の地方に住んでる」に登場していました。「美の条例」という日本では珍しい景観条例のある漁師町・神奈川県の真鶴町に移住して、夢のゲストハウス・オープンに向けて着々と準備を進めているようです。
 ていねいにていねいに仕事をし、人と付き合い、ちょっとゆっくりだけど、確実に一歩ずつ歩みを進める友美さんには、田舎暮らしがきっとしっくりきているに違いありません。

 そんな友美さんが、バギオ滞在中に立教大学の後輩たちのスタディツアーをアテンドした時のことを、フェイスブックにアップしてくれていましたので転載します。時間がたっても、フィリピンでの経験をその後の考え方や生き方に活かしてくれていて、とてもうれしいです。
 がんばれ友美! 応援していますよ~。

以下転載です。

b0128901_14053051.jpg

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

English below
最近のニュースや戦争の話を聞くたびに、フィリピンでの出来事を思い出します。

去年、フィリピンのNGOでインターンをしていた時のこと。
大学生のスタディーツアーに同行する機会がありました。

そのスタディーツアーの訪問先に入っていたのが、第二次世界大戦の時に日本人が進駐したというある村。
なんでもその村で日本兵は多くの村民を殺したらしい。

聞くだけで恐ろしくて自分だけだったら絶対いかないのに、
なんとそのプログラムの中には、戦争体験者の方々との懇親会が入っていました。

今こうして書いていると、ほんとよく行けたなーと思います。

懇親会の場へ行くと、戦争体験者の方々、そしてその子孫だと言われる方々がわたしたちを待っていてくれました。

懇親会は穏やかに進みました。戦争の時に日本軍から習ったという日本語の挨拶や、軍歌を歌ってくれたり。

ああ、和やかにもうこのまま終わればいいな…と思っていたら、日本の学生が
「日本人の子孫がこうしてカバヤンに来ることをどう思いますか?」
と、超ストレートに質問しました。

すると、来てくれた中でも高齢の女性が静かに話し始めました。

「あなたたちが来てくれてとてもうれしく思っています。
日本はJICAが病院を作ってくれたり、こうしてNGOがフィリピンのために活動してくれたりと、たくさんのサポートをしてくれていることに、大変感謝しています。
戦争はもう過去のことです。
わたしたちはあなたたちの祖先のことを、もう許しています。
だから、あなたたちも自分の祖先のことを許してあげてください。
嫌悪というのは何もよいものを生み出しません。
わたしたちは過去のためにではなく、今、そして未来のために生きるべきです」

彼女の話をきいて、二つのことを強く感じました。

一つは、人間は許すことができるということ。

家族や大切な人を殺されるというのは、もしかしたらこの世の中で最も許しがたい行為かもしれません。
それを許すことができる人間がいること。
その事実だけでとても救われた気分になりました。

そしてもう一つは、私たちも先祖を許してもいいのだということ。

フィリピンでも「あなたたちの祖先が昔どんなことしたか知ってるの?」「昔日本兵は、生まれたばかりの赤ちゃんを放りなげてやりに刺して遊んだりしてね…」と、日本兵がしたといういろんな話を聞きましたし、東南アジアの人たちからは必ずと言っていいほど戦争のときの話をされます。

その度になんと答えたらいいのかわからなくて、苦しくて、いつしか戦争をした当時の日本人たちに対して嫌悪感を抱くようになっていました。

でも、このフィリピンでの体験でそうした考えは改めようと思いました。
憎しみや恨みからいいものは生まれない。

もう戦争は起こってしまった。

そしてわたしが戦争に関わった日本人の子孫として生きていかなければいけないことにこれからずっと変わりはない。

だからそれを受け入れて、生きていこうと決めました。

過去からは学び、よりよい今と未来のことを考えて、選択していきたいとおもいます。

と、言っても日々のことに追われて忘れてしまうことも多いので、自分への覚書に。

※写真は訪問したフィリピン、カバヤン。飢餓や病気で亡くなった日本兵の骨が山々に今でもそのまま埋まっているといわれています。



b0128901_14091360.jpg


Recently, I often see and hear news about Japanese security-related bills and war. Every time I saw them, it reminds me some memory in the Phillippines.

I was in the Philippines last year as intern of NGO and had a chance to attend the Japanese university student tour.

One of their visiting places was a municipal called "Kabayan" where Japanese imperial army had been during the WWⅡ. And I heard that they killed many people.

Even just going there sounded very scary for me, but father more, there was a program meeting with people experienced the war.

Now, I cannot believe how I could have decided to go there.

When we entered the meeting room, people experienced the war and their decedents were waiting and welcomed us.
When the meeting was started, they showed how to greet in Japanese and sang the songs what Japanese imperal army taught them for entertaining us.

The meeting had gone very peaceful, so I was just praying "Please just finish in this good mood…"
But, one of Japanese students suddenly asked them how they think about that meeting.
Because the descendants of those who killed their family and friends came and asked them to talk, they could have gotten mad or refused that meeting but they didn't and even very welcomed us.

One of old lady started to answer in a calm way.

“ We are so happy that you came here to visit us in Kabayan. You Japanese try to help us a lot. Like JICA, they built the hospital for us and some NGO like CGN are also working for the Phillippines. We are appriciate for them.
It was past. We forgave your ancestors already, so please forgive your ancestors as well. Hatred cannot produce anything good. We should live for present and future, not the past.”

Her words impressed me a lot and made me realized two things.

First, it is possible for human to forgive.

Losing our family members or precious people by killed must be one of the unforgiven things.

But they said they forgave already.
I was so impressed that there are people like them.

And another one is I should also forgive our ancester.

I realized that I hated our ancestors. I had a strong anger toward them. Wherever I go to abroad especially south east Asia, I hear about our ancestors cruel story. So I hated our ancestors a lot and ashamed that I am their descendent. But I noticed if I keep it, it will not produce anything good.

It was happned already.

And it will never change that I am their decedents whose anseceter was in the war.

Since then, I decided to forgive our ancestors and accept that I am their decedents.

But forgiving doesn't mean forgetting about the past. We should know about the past and learned from it. And live for better present and future.

I am so thankful to the Philippines because If I'm not going to the Phillippines I could have never had a opportunity to know about the war and think how I should live as Japanese.

I miss the Pillippines always.



[PR]

# by cordillera-green | 2015-09-11 14:21 | スタディツアー

「山岳民族の家に泊まろう!」スタディツアー参加者からの体験記が届きました!


CGN主催の夏のスタディツアー「山岳民族の家に泊まろう!」、参加者の大学生MIZUEちゃんから素敵なレポート届きました!

~~~~~~~~~~~~~~~~


8/11から8/19まで、フィリピンに行ってきましたー!
遊びじゃなくて全部勉強です(笑)
世界遺産であるコーディリエラの棚田を見にこないかと学部の先輩に誘われて行ってきたスタディーツアー、学ぶこといっぱいでした!

1日目はほぼほぼ移動の日。マニラ空港から13時頃迎えのバンに乗り、バギオのゲストハウスTALAには20時か21時頃到着。このTALAっていうのが今回ツアーを主催しているNGO、CGNと提携関係にあってフェアトレードで売っているコーヒー豆がお土産用に売っていました!

2日目もほぼ移動(笑)
フィリピンと聞いて思い浮かべる観光地からはどんどん離れ山の方へ。標高が常に1500mあり、高いところで2330m!
バギオを朝出発して、20時頃にバナウェに到着。その日の夜はフィリピンのポークカレーを食べましたが、カレー?カレー炒めみたいな感じでした(笑)



3日目は、バナウェ・ミージュアムとコーディリエラ彫刻ミージュアムに行きました。これは自治体管理ではなく、個人所有とのこと。すごかったです。
バナウェ・ミージュアムではコーディリエラ地方のイフガオ民族についての歴史や衣装、どのように暮らしていたのかを、コーディリエラ彫刻ミージュアムは木の彫刻オンリーで、昔首刈りに使っていた槍や民芸品やライスゴッドというお米の神様がいっぱいありました。
もう圧倒されっぱなし。
その後はまたちょっと移動を挟んで、ハパオにあるゲストハウスに行き荷物を置いて着替え!
天然に湧いている温泉があるとのことで水着に着替えて行ってきました!ぬるかったけど、でも隣に冷たい川が流れてるから交互に入ればあったかく感じるから大丈夫!(笑)
夜はご飯を食べつつアルコール度数80%のジンをもらい…。うん、もういいかな、っていう経験でした。

b0128901_15061156.jpg


4日目は、傾斜のきつい棚田群を登って木彫りの体験。普段何も運動しない反動ですぐ息が切れる…!汗だくで着いた先は、標高が高いせいか涼しくて汗も引きました!
木彫りは、成人するくらいの年頃の男の子が1つの家に泊まって先輩の男の子から技法を教えてもらうという伝統的なもの。そこの人達は10歳とか5歳から木彫りに触れてるからすごい上手い!私もフォークを作ったけどほぼ直してもらいました(笑)
お昼ご飯もそこで食べたあとはそのイフガオの方達のところでホームステイ!
私のお世話になるところは18歳のケネット君とお母さん、そして隣の家のカトリーヌちゃん。向こうの人はみんな英語が話せるのでそれで会話するんだけど、私が英語が話せない(笑)
なんとか拙い英語でコミュニケーション取りつつ、お母さんからコーヒーもらったんだけど、あれ?しょっぱくない?
お母さんは自分のコーヒーを入れながらこっちではこれは薬みたいなものなのっていうから、あ、そうなのね、これはこれで飲めるね、って思ってたらお母さんもしょっぱい!って!ウソだろ!(笑)
ケネット君がコーヒーミルの入れ物を塩入れにしちゃったんだって。これで一気に打ち解けました(笑)

b0128901_15020413.jpg

5日目はホームステイ先で生活。
朝7時に起きて10時にお米の収穫へ。ついでに棚田群をぐるっと見せてもらい、いざ収穫!ってなったらあんたは石垣の近くでいいよ。って。ありがたいです(笑)パラソルさしてもらって、石垣に座り縁の稲を収穫。こっちは片手鎌?ナイフ?で収穫するみたいで、私にも一個貸してくれたんだけど難しい!難しい!なんとか慣れたくらいでおしまい!また棚田をぐるっと回りながら家に帰り、お昼寝してこい。って。甘やかされてるな…。
14時頃ガイドさんたちがちゃんとやってるかの見回りに来てくれて、お母さんが作ってくれたお菓子とカトリーヌちゃんのお父さんが作ったライスワインでわいわい。
そこでガイドさんからアルハラ(笑)をうけてまたダウン。夜ご飯まで寝てしまい、慌てて起きたら今度は近所のマービン&レイラ夫婦が遊びに来てて、パウンディング・ライスを見せてもらいました。杵と臼を使って籾殻が付いたままのお米を打って、玄米に分ける作業なんだけど、杵を打つ力が強くてここでも圧倒。その日はお母さんとカトリーヌちゃんといろんな話をしました。

b0128901_15014156.jpg

b0128901_15082540.jpg

6日目はバギオのTALAに帰る日。8:30に木彫り体験した家に集合だったので、それまではお母さんとケネット君とカトリーヌちゃんと共に日本語とトゥワリ語という現地の言葉を教えあい、泣きそうになりながら集合場所へ。だってすごいシャイなケネット君が「バイバイキヲツケテアイシテル!」って!アイシテルなんていつ覚えたの!ビックリした!
木彫りの家に集合したら、集合写真を撮って険しい棚田の道再び。ここでも汗だくになりながらやっと移動手段のジプニー到着。帰りはジプニーの上に乗りつつ、雨が降ったら中に乗り、行きは曇っててよく見えなかった2330mの地点にも寄り、夜ご飯も食べてTALAには21時か22時に到着。
ホームステイ先は山の中だから料理もかまどで、トイレもカーテンで仕切ってあったんだけど、TALAに戻ってきてフカフカのソファーとベッドとを見てちょっと感動しました(笑)

b0128901_15003951.jpg


7日目は、移動続きで疲れてるだろうとのことで朝はちょっとゆっくりの11時集合。そこからイフガオのホームステイのフィードバックをして話し合い、その後はバギオの市内観光!お昼はJolibeeっていう現地のファストフード店。マックみたいな味でした(笑)
それから、フィリピンがアメリカの植民地時代にアメリカ軍の施設があった場所、キャンプジョンヘイに。このキャンプに関わった偉人10人の頭がつながったトーテムポールや、高級ホテルのロビーで一息ついて今までとはガラッと違う雰囲気。正直前日までとの振り幅が大きすぎて現実味が全くなかったです(笑)
あまりに私たちがゆるっとしていたのかガイドさんから、これから行くパブリック・マーケットはスリが出るから気をつけて!カバンは絶対前に持って、携帯とかはポケットには絶対入れないで!というご忠告。
気を引き締めてそのパブリック・マーケットに。日本でいう商店街みたいなもので、日本円からフィリピンペソに両替する場所もあるし、民芸品を取り扱っている場所もあるし、シルバーアクセサリーを取り扱っている店もあるし、、、とにかく広かった。
その後はセッションロードというメイン通りを歩いてSMっていうショッピングモールへ、着いたら食料品のお土産を買って、目的地別に解散。バーに行って飲む人とSM回る人、その中でもナイトマーケットに行く人と行かないでご飯食べに行く人。SMはこっちでいうイオンみたいなところで何でも揃うけど、うーん、フィリピンで買わなくても、な感じでした。ナイトマーケットが21時からなのでそれまでSMで時間をつぶしてまたセッションロードを歩いてナイトマーケットへ。ナイトマーケットっていうのはパブリックマーケットのちょっとブラック版?
道路を車両立ち入り禁止にしてやるんだけど、出てる品物全部安い!その代わりスリは頻繁に出るし、盗品の携帯が売ってあるのもザラにあるみたい。
スリだけ警戒しつつ、ナイト・マーケットを回ったんだけど、楽しい!
すごくねぎる子と一緒に行ったら2人とも日本人に見えないって(笑)その子は韓国人に、私はフィリピン人に見えるって。どういうこっちゃ!(笑)そりゃ確かにまたちょっと焼けたけども!一緒に行った現地の子からフィリピンと中国のハーフに見えるよ、って言われたけどそれも微妙だからね?(笑)
さんざん楽しんだ後は乗り合いのジプニーに乗ってTALAに帰宅。


b0128901_15094095.jpg


8日目はCGNが植林事業をしているコロス村へ。コーヒーの木の植林を手伝わせてもらったんだけど、山だから足場が悪い。運動神経が悪い私としてはずっとヒヤヒヤでした。お昼は午前中にシメたニワトリ。伝統的な方法で目の前でシメてもらって、私もちょっとやらせてもらったんだけどけっこうショックでした。普段当たり前に使っていた「頂きます」が、重みのある言葉なんだなって実感しました。
その後はCGNの副代表がいる支部へ。副代表はBSUの森林学部の教授なので、フィリピンの森林事情や法律を説明してもらえました!
そのまま教授にBSUの中を見せてもらったり、一緒にHEALTH101というベジタリアンレストランに行ったり、勉強の1日でした!

9日目は遂に最終日!
4:30にTALAを出発してマニラ空港へ!懸念していた渋滞もあんまりなく、10時には空港に到着。ちょっとひと休みしつつみんなで思い出を話してたら、時間になったのでターミナルが移動!その途中でガイドさんとTALAの外部スタッフさんが上を向いて歩こうを歌ってくれてうるっときました。

b0128901_15121727.jpg


飛行機が日本に着いてからはちょっと気が抜けました。久しぶりのご飯とお味噌汁!やっぱり日本が1番だ!(笑)

今回は米米クラブつながりで誘ってもらって日本の農業との違いを探してた9日間だったけど、もちろん違うところはたくさんあったし細かいところは全く違うんだけど、抱えている問題というか本質的なところは同じなんじゃないかとすごく感じた。イフガオの人々は山奥の棚田に住んでいて、いつも新潟の山の田んぼにお世話になって、どっちも若者が都会に流れていて高齢化や過疎化が進んでいてお米を作るだけじゃお金にならなくて…。
もっと勉強しなきゃなってそれはほんとに実感しました。人環なら勉強できているはずのそれの解決法とかも全然思い浮かばなくて、反省。
フィリピンの森林のこととかも少し前の日本にすごく似ていて、フォレスターっていう資格のこととか興味深いこともたくさん知れた。
もっともっと勉強します!

今回お世話になったCGNの代表のまりこさんや息子さんの嵐君、スタッフのレナートさんにリリーさん、ミカちゃんにめいさんやあゆこさんやあいちゃんに、運転手のジュンさんに現地ガイドのジェイソンに、あとは人環の先輩でツアーに誘ってくれたまささん!
それとツアーで一緒だった森林文化アカデミー教授のそーへいさん、兵庫の大学生でそのままインターンシップをする美里さん、同じ人環生のさやかちゃん、みんなみんな感謝です!

とりあえず美里さんのTALAでのインターンが2月までらしいので、それまでにもう1回行きたい!(笑)


b0128901_15130901.jpg


[PR]

# by cordillera-green | 2015-08-27 13:39 | スタディツアー

農業女子の有機農家ホームステイ体験記ーBig Cosmic Farm


 東京は飯田橋のユースホステルのドミトリーでたまたま泊まり合わせた農業女子,水野さんが、その後、カナダの酪農農家での農業研修を経て、はるばるフィリピンはバギオまでCGNを訪ねてきてくれました。なが~~い憂鬱な雨季の真っ最中のなか、イフガオの棚田訪問、CGNのアラビカコーヒーのアグロフォレストリー事業地などを訪問。しかし、残念ながらCGNは現在進行中の有機農業事業がなく、水野さんの「ここで農業体験したい」のご要望にお応えして、ベンゲット州の有機農業を引っ張るリーダーの一人コスミック・ファームCosmic Farmのマルサンさんをご紹介、有機農業ホームステイできることになりました。

「大丈夫かな。日本女子一人で」

と不安げなマルサンさんでしたが、とても楽しい時間を一緒に過ごしたようです。帰国した水野さんからの滞在記です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


728日から82日まで、有機農業体験をさせてもらいました。

ここでは、有機認証を取得し、伝統的な野菜や、珍しい種類の野菜などを積極的に取り入れて販売しています。

また、ベジタリアンの方向けのランチのデリバリーや、お茶やサプリメントなど、加工品の販売、研修生の受け入れやセミナーの開催など多彩な経営を展開しているのが特徴的です。

オーナーは、とても勉強熱心で、様々な農法を積極的に学び、取り入れています。

常に畑を見回り、野菜の生育具合を見ながら、病害虫の発生の様子や肥料の効果などを確認し、農薬や化学肥料を使わなくてもよい経営ができるよう、最大限の努力をしている姿が印象的でした。

日本の固定種を始め、外国の伝統野菜の栽培にも取り組んでいます。

例えば、日本ではよく山野で見かけるアシタバは、農家さんの地域の山野にはないらしいのですが、健康への効果に着目し、種から育て上げ、お茶やサプリメントにして販売しています。

家族経営で、オーナー夫婦と、子ども達が一緒に働いています。

最初はちょっとシャイな子どもたちでしたが、日本語とイロカノ語の交換学習()を通して、少しずつ打ち解けていきました。

みんなとても働き者で、私たちビジターにもよく気を遣ってくれて、笑顔のすてきな優しい子たちです。大学や専門学校でも、家業に役立つ分野を学んだりと、正に家族一丸となって取り組んでいるんだなあと感じました。

b0128901_13573759.jpg


オーナーは、若い頃はかなり冒険家だったようですが、生まれ育った大地と歴史と、しっかり向き合いながら生きてきた様子が、話していると伝わってくるような人です。

一緒に山を歩きながら、食べられる山野草や、薬草を教えてくれたり、ちょっとミステリアスなその土地に伝わる習慣などを教えてくれました。

また、オーナーの奧さんが作ってくれるごはんは、畑の野菜や山のものが中心で、食事を通して、学ぶようなこともいろいろありました。

例えば、お米をターメリックを使って黄色く染めて食べるのは日本でも見かけますが、こちらでは、ターナティーという豆の青い花を使って、青く染めたお米を食べさせてくれました。ストレスを感じた時に食べると良いらしいです。

最終日は、子どもたちの誕生日パーティーでした。大勢の人を集めて、盛大にお祝いしました。

お母さんは夜も明けない時間から、グラハムケーキという、クラッカーとクリームをサンドした、フィリピンでは一般的なケーキを作ってくれました。子どもたちは、男の子も女の子も皆で協力して、朝早くからたくさんのご馳走を作っていました。

グラハムケーキに、お姉さんが誕生日の子達(78月生まれの合同パーティーだったで)の名前を色付きのクリームで書いていたのですが、その一つに、なんと私たちビジターの名前も入れてくれました。胸がきゅんとする、嬉しいサプライズでした。


b0128901_13572028.jpg

今回の滞在を通して、有機農業に関すること、この地に根差した農法、経営方法など、様々な視点から学ぶ事がたくさんありました。

それだけでなく、この場所で、純粋に一生懸命生きる家族と共に過ごしたことで、何だか言葉には変えられないような、不思議な、素敵な宝物のような気持ちを得た気がします。

それは、私にはちょっと思いがけない宝物で、一体なんなのか、よくわかりませんでした。

日本とは違う文化、環境の国で、少しの時間ですが共に生活させて頂いたことで、生きることの不思議さとか、普遍さとか、違いとか、そういうたくさんの小さな気付きが、かけがえのないものに思えたからかなあ、と、今は思っています。

CosmicFarm の皆さま、本当にお世話になりました。心から感謝と、益々のご清栄を、お祈り申し上げます。

また、今回引き合わせてくれたCGN の皆さま、共に参加してくれたMayさんに、心から御礼申し上げます。



b0128901_13594517.jpg
↑アシタバ


[PR]

# by cordillera-green | 2015-08-25 15:50 | 持続可能な農業