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2008年 11月 23日
亀井さんが知り合いの元兵士で生還者のSさんから、以前イトゴンのアンティーノ・カランテスさんという方のところで慰霊祭をやってお世話になったので会いにいってくださいと頼まれたということで、亀井さんと一緒に訪問しました。 今年90歳というカランテスさん、背筋もしっかり伸び、かくしゃくとした雰囲気。耳は遠くなっているようですが、記憶はしっかりしていて、戦時中のこともよく覚えていらっしゃいました。 カランタスさん、バタアン半島での戦いに加わり、日本軍の捕虜となって、あの「バタアン死の行進」で生き残り、ふるさとイトゴンに戻ってきたそうです。その後、抗日ゲリラに加わって日本軍と多々戦闘を交えたというのが彼の戦歴です。 「申し訳ないけれども、たくさんの日本兵を殺しました。あれは戦争でしたから」 とカランタスさんは言います。 何しろ驚いたのは、町役場のすぐ脇にある彼の家の庭に作られているプライベート戦争博物館と、家の中の戦争の思い出の品々の展示です。屋外の展示には数々の大戦での戦闘地のミンチュアが作られ、ひとつずつに説明が書かれています。マシンガンや爆弾の破片の展示もあります。室内には、戦争で自分がかぶっていたヘルメットがきれいに緑色に塗られて飾られてるほか、銃や戦時中の携行品、たくさんの勲章、カランタスさんが属するイバロイ族の民族楽器の数々、戦争について記された書物などが展示されています。そして、屋内にも屋外にもセピア色に変色した数々の思い出の写真が飾られていました。どれもこれもホコリひとつかぶっておらず、きちんと手入れされていました。 ![]() ![]() ![]() 亀井さんにカランタスさんのことを話したSさんと一緒に撮った写真もありました。Sさんが戦後何十年もたって訪ねてきてくれたことをとてもうれしそうにカランタスさんは話します。 「最近まで毎年きれいなカレンダーを送ってきてくれていたのにここのところ来ない。死んじゃったんじゃないかなと思っていた」とカランタスさん。亀井さんが元気だということを伝えると、とてもうれしそうでした。 ![]() ↑Sさんと一緒に撮った写真もていねいに展示されていました。 あの戦争を忘れたくて忘れたくて仕方がない人が、日比両国にどれだけいるかわからない中で、できるだけ忘れないように、ミニチュアを作り、戦争の思い出の品を展示し、毎日毎日目にすることを戦後ずっと日課にしてきたカランテスさんのような人もいるのです。 といっても、彼は決して戦争好きの血の気の多い乱暴ものだったわけではありません。カランテス家は、バギオやイトゴンで知られた由緒正しきイバロイ族のファミリーで、いまでもカランテス家の本家本筋ですといえば、一目おかれる存在です。カランテスさんの家にも「ファミリー・トゥリー」という家系図があって、「私の一方の祖父はバギオのプレジデントでした。もう一人のおじいさんはイトゴンのプレジデントでした」と言います。カランタスさんは、戦後もイトゴンのコミュニティ・リーダーとして数々の責任のある役職についてきたおだやかな人格者です。 ![]() ↑カランテス家の家系図 ![]() ↑プレジデントだったカランテスさんの祖父など祖先の写真 60余年前、フィリピン人捕虜が1万人から2万人も亡くなったいうバタアン死の行進で日本人の捕虜になって、たぶん想像を絶するこの世の地獄を体験し、その後もたくさんの日本兵を殺し、仲間を殺され、それでも、今、日本人Sさんの安否を気遣っているカランタスさん。それも、彼が、戦争の記憶から逃げず、きちんと見据えた戦後60余年過ごしてきたからこそなのかもしれません。 ![]() ↑左から、カランタスさんの息子さん、亀井さん、奥様、そしてカランテスさん!
by cordillera-green
| 2008-11-23 21:35
| 戦争
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