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演劇ワークショップでアジアの農村をつなぐ モノローグ②(キアンガン国立高校)

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20185-10月に行った「演劇ワークショップでアジアの農村をつなぐ―青少年を対象とする環境問題をテーマとした演劇交流事業」(共催:総合地球環境学研究所/シアター&アーツうえだ、助成:国際交流基金アジアセンター文化創造協働助成/トヨタ財団国際助成)では、イフガオ州の8つの高校で、農業をテーマとした聞き書きをベースに演劇作品の制作が行われました。ラガウェ町のドン・ボスコ高校で831日に行った発表会では、それぞれの地域の特色を鮮明に映し出した8つの作品を、高校生たちが精いっぱいのエネルギーで演じてくれました。

 演劇制作の過程で行われた、村の名人や長老たちへの聞き書きインタビューは、それぞれ地域の言葉で行いました。ですから、発表のときの演劇も、民族色・地方色の強い、いろいろな言語が飛び交う発表会となりました。

 イベント後に各学校からはステージで使ったモノローグ台本の英語版を提出してもらい、日本語に翻訳しました。またステージでのモノローグテキストのため聞き書き内容をすべて盛り込んでいるわけではありませんが、イフガオの州の農業の現状をダイレクトに反映した興味深い内容となっています。

キアンガン国立高校

Kiangan National High School

Baguigue, Kiangan, Ifugao

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アグリピナ・マランタ(女性)

Mrs. Agripina Malanta

私はあなたらのおばあさん、アグリピナ・マランタ91歳です。私らは1948年にここバギゲにやってきました。私らが田んぼ仕事を始めたころには、最初にやったのは草刈り、あぜ道づくり、石の壁のお掃除だったね。それから苗床の用意。雑草と稲刈りのあとに田んぼに残した枯れた稲わらは、堆肥として役立てた。

苗が育って植え替えできる大きさまで育ったら、今度は田んぼの用意をしなきゃいけない。

村のみんなで田植えを終えたら”カルピ(Kulpi)”と呼ばれる儀式をやるのだよ。この儀式をすると稲を食べてしまう野ネズミや虫から稲を守ってくれるって信じられているのさ。

稲が実るのが間近になったら、村人たちはライスワインの支度を始める。収穫の時の儀礼や、収穫の時に稲刈りの手伝いに来てくれる村人たちに飲んでもらうためさ。

米を貯えておく倉を持っている人たちはそこで儀式をしないといけない。倉を持っていない人は家でやる。刈った稲は”Batawill”という木の棒の両端に引っ掛けて家に運ぶ。


以前は 人々が患う病は腰痛だけだったよ。それが今ではそりゃたくさんの病気があるね。田んぼで使う農薬や煙がいけないのだね。きっと。ほかにもいまじゃあ困った問題が子供たちに起こっているじゃないか。昔は自分らが食べるために米は自分らで搗いた。ところがこの頃は、あっちこっちに精米機があってそれで精米しちゃっている。おかげで病気が蔓延だ。


昔ももちろん食べ物がなかったりお金がなかったりしたさ。でも、今の子供らに比べたら幸せだった気がするな。今の子らはおやつやらなんやらのためにお金渡さなきゃ、学校行かなかったりする。

昔の田仕事もそうさ。お金かける必要なんてなかった。それでも仕事は終わったよ。村の人たちはみんなが仕事を終えるまで、お互い助け合うってことを知っていたからね。Ubbuっていうのがこの助け合いのことさ。


いまじゃ、あれだね。ガソリンや農薬を買い、人を雇うやら、その人らに飯を食わせるやら、おやつを出すやらで、お金がなくちゃあ、農業だってできないご時世さ。

*


クリスピン・タヤバン(男性)

Mr. Crispin Tayaban

 私は、クリスピン•タヤバン、68歳です。以前は田んぼ仕事をしていましたが、祖父を介護するため、田んぼはやめてしまいました。

 田んぼの仕事は田植えのための準備”キワングKiwang”から始まります。私たちははじめに用水路を整備し、草取りをはじめます。田んぼでお互いを助け合うことを”ウブ”と言います。

 種まきのための苗床の準備が始まり、草取りが続き、あぜ道を作り、そして代掻きをします。そして、苗床で育てた苗を抜いて苗を用意し、いよいよ田植えが始まります。伝統にのっとり、まず豊かな家系のものが田植えをはじめ、他の家族はそのあとに続いて田植えを始めるのです。

 田んぼの仕事をやっているときに遭遇した問題は、棚田の石の壁やあぜ道の浸食、害虫やネズミによる稲が被害を受けるといったことでしたね。これらの問題は”クルピKulpi”と呼ばれる儀礼を執り行うことで防ぐことができました。“クルピ”以外にも、穀物が実り出すころ”フリンHulin”と呼ばれる儀式が行われます。この儀式は、作物を食べてしまうネズミを追い払うために行われます。まず、ネズミが行くようなところにパリパルPalipal(竹の民族楽器)を投げます。そして、そのpalipalを村の別の人に拾ってもらい川の方向に投げます。そうするとネズミはそこには行かないといわれています。もう一つの儀式があります。それは”ティコムTikom”と呼ばれる儀礼で、稲を食べるマヤの鳥の口をふさぐというものです。

 以前は田んぼ仕事に問題はありませんでした。なぜなら、たくさんの木があり十分な水をもたらしてくれていたからです。しかし、いまでは山々での木々の伐採によって水の供給が問題となっています。

 私からのあなたたち子供世代への助言として、たとえ学校に通おうと私たちの文化である田んぼを維持するために、田仕事の方法を学ぶ必要があります


*

マーク・バランヤン(男性)

Mr. Mark Balaniyan

 私はマーク・バラニヤン、33歳です。子どもが一人います。私は高校を卒業し、TESDAで職業訓練コースを受けました。海外への出稼ぎのための溶接試験を終えました。出稼ぎ期間は2年と定められているので、フィリピンに戻ってきました。二度と海外に働きに行くつもりはありません。

 帰国してから、私は父がわたしに教えてくれた田んぼ仕事に戻ろうと決めました。父はすでにだいぶ体が弱っていますが、それでもずっと田んぼの手入れをよくするように教えてくれました。両親とともに田んぼへ足を運び続けてきましたので、私は田んぼ仕事の工程を学べたのです。

 私の世代の弟や妹ともいえる学校に通っているあなた方若者たちへの私のアドバイスとしては、ぜひとも、学校に行ってほしいと思っています。もしそのコースを終えなかったらその後の生活がとても大変なものになるでしょう。しかしながら、私たちイフガオの伝統的な農法をどうか忘れないでほしいとも願っているのです。

***

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Mrs. Agripina Malanta

   Iamyour grandmother Agripina Malanta, 91 years old. We came here in Banguigein1948. When we started farming, the first thing to do is weeding, constructthe rice paddies and clean the stone walls.Then prepare the seedbed. Thenthe grasses and rice stock that were rotten will serve as fertilizers ofthe plants. When the seedlings are ready for planting, the rice field shouldhave been prepared.

   When everybodyin the community finished planting, they perform a ritual called kulpi.This ritual believed to protect the plants from rodentsand insects that would destroy the plants while growing robustly. The moment therice grains are about to ripen, the community people will prepare the rice wineto be used during the ritual and to be drunk by the harvesters and the communitypeople. Those who have rice granary will perform the ritual there, while thosewho do not havewill do it in their homes. The “page” is brought home throughthe “batawil” a wooden stick use to carry the “palay” at both sides.

Before the ailment that could be felt by people was backpain, while today there are many kinds of sickness as aresult from whatpesticides and smoke of farm implement can give.

Another factor is about the life of children it is difficulttoday because before we pound rice for food and it won’t give ailment whiletoday it is very easy because rice mills are found everywhere but then it givesside effects. Before also even there is meagre food and money, we were happy ascompared to children today that they can’t goto school if you don’t give themmoney for snacks and other things. Just like farming before that we don’t needto spend much of money and work is finished because the community people have anunderstanding to help one another called “ubbu”until work is done. Today wecan’t farm if we don’t have money to spend for gasoline, pesticides, labor andfood and snacks.

*

Mr. CrispinTayaban

I am Crispin Tayaban, 68 years old,my work before is farmingbut now I stop farming because I will take care of my grandfather.

Work in the field will start on land preparation “kiwang”. Wefirst prepare the water system then weeding starts.Helping one another in thefield will “ubbu”. The preparation of seedbeds for sowing grains will start thenweeding will follow and construction of rice paddies followed by cultivation.Then, uprooting of seedlings for planting was prepared so that planting willbegin. The rich family will start the rice planting first before others as theculture dictates.

I have noted that some of the problems I encountered whilefarming was the following like erosion of stonewalls and paddies, rice plantswere attacked by pests and rats. These problem scould be controlled byperforming the ritual called “kulpi” in order to prevent the stated problems.Aside from the performance on the ‘kulpi” when the grains are already coming outanother ritual called “hulin” is performed to drive away the rats fromdestroying the plants by throwing all the instruments used to a place where therats will go and these instruments must be taken by other people in thecommunity and throw to the direction towards the rivers so the rats will gothere. There is another ritual which is the “tikom” which will shut off themouth of the Maya bird to eat the “palay”.

Before farming was not a problem because there were plenty ofwater brought about by plenty of trees but today water supply is a problem dueto cutting of trees in the mountain.

My advice to you children is that evenyou are going toschool you have to learn how to farm so that our culture in farming willcontinue.

*

Mr. Mark Balaniyan

I am Mark Balaniyan 33 years old with one child. I finishedmy high school and continued vocational course in TESDA. I finished welding asmy passes going abroad. My contract was only for two years so I need to comeback to the Philippines and never go back.

I decided to go back on farming and apply what my father hadtaught me. My father told me to continue taking good care of our field since heis not strong anymore to work in the rice field. Since then, I had been going tothe rice field with my parents through it I was able to learn the process offarming.

My advice is for you my brother and sisters to go to schoolbecause you see if you do not finish a course then life is so difficult, butthis I warn you please do not forget our Ifugao culture of farming.


by cordillera-green | 2019-07-24 16:33 | 環境教育

演劇ワークショップでアジアの農村をつなぐ モノローグ①(フンドアン・バンバン国立高校)

  

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2018年5-10月に行った「演劇ワークショップでアジアの農村をつなぐ―青少年を対象とする環境問題をテーマとした演劇交流事業」(共催:総合地球環境学研究所/シアター&アーツうえだ、助成:国際交流基金アジアセンター文化創造協働助成/トヨタ財団国際助成)では、イフガオ州の8つの高校で、農業をテーマとした聞き書きをベースに演劇作品の制作が行われました。ラガウェ町のドン・ボスコ高校で8月31日に行った発表会では、それぞれの地域の特色を鮮明に映し出した8つの作品を、高校生たちが精いっぱいのエネルギーで演じてくれました。


 イフガオ州にはおもに3つの民族語(トゥワリ語、アヤガン語、カラングーヤ語)が家庭やコミュニティで話され、町部では違う民族の人が共通語として北ルソンのメジャー言語であるイロカノ語やフィリピンの国語であるタガログ語でコミュニケーションをとっています。そして、学校では幼稚園から国語以外の授業はすべて英語で行わています。

 演劇制作の過程で行われた、村の名人や長老たちへの聞き書きインタビューは、それぞれ地域の言葉で行いました。ですから、発表のときの演劇も、民族色・地方色の強い、いろいろな言語が飛び交う発表会となりました。


 イベント後に各学校からはステージで使ったモノローグ台本の英語版を提出してもらい、日本語に翻訳しましたので、以下に掲載します。8校分とかなりたくさんあり、またステージでのモノローグテキストのため聞き書き内容をすべて盛り込んでいるわけではありませんが、イフガオの州の農業の現状をダイレクトに反映した興味深い内容となっています。


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1.バンバン国立高校

Bangbang National High School

Bangbang, Hungduan, Ifugao Province

ホセ・クルヒ・ピナイアン(男性)

KAGAWAD JOSE CULHI PINAY-AN

 私はホセ、68歳です。アーリンダという妻がおり、フンドアン町のダユコンに住んでいます。私の母はハパオ出身で、父はバアン出身です。両親はともに農家でした。

 私は子供のころ両親の田仕事を手伝っていました。バノンでの穴を掘って泥魚を集めたときのことは忘れられません。

 のちに私たち家族はハパオ村からバンバン村のポロド集落へ移り住みました。祖父(“アプ”あるいは”ビノルタン”とよばれています)の姉の一人に田んぼをもらったので、その地に長い間定住したのです。彼女が田んぼを母に譲ってくれたおかげで、私たちはその田んぼを耕すことができました。カハイアニ(kahiani)のときに、収穫を手伝いにきてくれたのはハパオ村の人たちでした。

 私が田んぼで働き始めたのはボロド集落ですが、それ以前から私の父はガウド(Gaud)と呼ばれる農具の使い方を教えてくれていました。高校生になるまで私は両親の手伝いをいつもしていました。

 ハイスクール(中学)の頃、父は私に木彫りを教えてくれました。私は木彫りに興味があったのですぐに覚えました。ハイスクール3年生の頃にはすでに木彫りの手わざを身に着け、自分の手でお金を稼ぐことができました。

 父の稼ぎでは不十分だったので、妹の教育費を稼いで家計を助けようと決めました。妹は商学部を卒業し、バギオで働き始めました。妹が仕事についたことで3人の妹たちが大学を卒業するまで教育費に関しては、妹が支える責任がありました。

 

 私は結婚した時に、兄弟とは別々に住み自分の家庭を築きました。私には5人の娘と2人の息子がいます。木彫りと農業の収入から生計を得ることができました。こうして私はお金を稼ぎ、子供たちの、とくに教育のためにお金を稼いできたのです。 今では7人の子供のうち5人は自分の仕事があります。一番下の子はまだ学校に通っています。時々、妻が木彫りを手伝ってくれます。一番上の子も木彫りを手伝ってくれるので仕事が楽になりました。

 子供たちが小さかった頃は、息子たちを森に連れて行き、木彫りに使う木を一緒に探しました。娘たちは田んぼに連れて行き一緒に働きました。しかし、一番下の子と次に幼い子はいまだ連れて行ったことがありません。

 私たちの一番上の子が結婚した時、祖父母からいただいた田んぼを譲りました。収穫期になると、手伝いにヌグルナンの人々が来てくれます。

 私は2009年に木彫りをやめました。というのも、2010年に村の議員に立候補するつもりだったからです。私は当選して議員になり村の人々のために貢献しています。村の議員になっても、妻を手伝って“law-ang”と呼ばれる草取りや、田んぼを耕す作業を行います。

 公務員として、私は会議などに出席する責任を果たしています。

 実はうれしいことに、私は仕事にたいする献身的な姿勢と1日も休まず仕事に従事したことで感謝状をいただいたのですよ。私が活動しているシニア組織の功績によって、フンドアン町はこの地方で第一位になりました。そして、フンドアン町政府は88件もの奨学金受益者を追加することができたのです。

 私はシニア組織の代表を務めると同時に、バンバン高校とヌンポリア小学校とフンドアン小学校の教育委員会のメンバーも務めています。



ピナイアン氏からの聞き書きまとめ

「稲作の慣習、課題、農業サイクル」 

From Mr. Pinay-an statements

ThePractices, issues and Cycle of Rice Production


 ホセ・ピナイアン氏によると稲作には以下のような作業がある。

 「ロカLoka」、「ビノンオBinong-oh」または「ブブボンbububon」、「イパタンipatang」、「プンガブタンpungabutan・バノンbanong・ピプギルpipgir」(田んぼを整えきれいにする)、「イトノッドitunod,クルピkulpih」(コオロギやネズミを田んぼから追い払う)、そしてムンフン/イホナトMunhu-un/ihon-at,「 ムンリットmunlit」、さらに「ムンガブットMungabut」(稲を食べる害虫を取って田んぼをきれいにする)、「ブムンガbumunga」(大量のマヤ(小鳥)が稲を食べてしまわないように、いくらかの稲を取ってウピッ“up-uppigを立てる)、「ムンキワMunkiwa」(「ムンアニmun-ani」のためにライスワインを作る)、「ハリグノプhaligunop」(人々が飲むためにライスワインを作る)。

 ピナイアン氏は、「カヒアニkahi-ani」の間は、野菜ではなく肉(鶏肉か豚肉)しか食べてはいけないと力説する。「カヒアニ」の間は、他にも「カヒウKahiw」「マンギンガmangingaまたはムンユユmunyuyu」という作業もある。まだ収穫されていない稲が残っていれば収穫を続ける。これを「マングデュル・マングデュルmangudurmangudur」と呼ぶ。そして刈った稲を束ねる作業ブトックbutokの報酬として「ムンバクルmunbakle」を受け取る人がいる。

収穫が終わると、次は田んぼの雑草を取り除く作業「ムンラムンmunlamun」を行い、そして「カヒパタンkahipatang」(一般的に次に植える苗の準備をするために行う)を行う。

 「ラムンlamun」は、発芽や、マヤ(すずめ)被害を別にして、土壌におきる問題のことだ。

ピナイアン氏によると、これは肥料過多によって生じるという。解決策は以下の通り。

まず、田んぼの水を抜き乾燥させる。田んぼを乾燥させた後、土を再び掘り返すと(ラフグlahug)、ユユyuyu(ドジョウ)が姿を見せる。そして、田んぼを田植えができる状態になる。

ピナイアン氏によると、すべての農家にとって「コホルkohol」「キウィットkiwit」は、田んぼに被害をもたらす最も重大な問題である。

ほかにも、稲作を人力で行うことをしない人がいることが問題だ。農家の中には田んぼで働くのを怠る人もいる。しかし、政府の職員は米が供給されさえすればよいと思っている。

 

 ピナイアン氏は農家が近代的な技術を使いすぎることが農家に新たな問題を生んでいるのではないかと指摘した。しかし、ときに豊作であったとしても、そのマーケティングにおいては貧しさから脱却できていないのである。


デイジー・ヨグヨグ(女性)

MRS. Disy Yogyog

私はデイジー・ヨグヨグ、42歳で4人の子供がいます。

私は幼い頃、田んぼで農作業をしていました。

私は満月が出ているほど夜遅くであっても、お金を稼ぐために種まきをしました。

学校に通い始めると、土日や祝日に田んぼでの農作業をしていました。

私がハイスクール(中学)に入学すると、父は鶏を飼育し始めました。

在学中に、私は国立イフガオ州大学の奨学金に応募しました。

私は奨学金をもらうために試験を受け、合格しました。学校の奨学金制度によると、学校側が学生に高校で職業として農業に従事する能力があるかを見極めるために、奨学金の受給予定者は5日間の実習科目の受講を受けなければ行けませんでした。私は幸運にもその実習科目が免除になり、授業料免除と手当の付いた奨学金を受給することができたのです。

奨学生として大学に通い始めてからも、週末はバガバグ(ヌエバ・ビスカヤ州)で野菜を売ったり、ドンボスコ高等学校でバナナチップスを売ったりして働きました。

私は大学で勉強を続け、農業技術科学の学士コースを優等で卒業しました。

フンドゥアンの地方自治体政府に雇用されてからも、休日や祝日には夫と畑で農作業を行っているので、まだ私は農家であると言えるでしょう。私たちには幸運にも勤勉な子供達がいて、農作業を手伝ってくれます。特に長男はとてもよく働いてくれます。

全家庭に向けての私からのアドバイスは、自分たちで消費するための食糧を植えることです。

保存料が多く入った食べ物を買うのは避けるべきです。

親世代は棚田を守るために、農業にも従事すべきです。

イサベル・ラクバワン

Isabel B. Lacbawan

私はイサベラ・ラクワバン、68歳。12人の兄弟姉妹の3番目です。

若い時は祖母を手伝って、田んぼ仕事や焼き畑でのサツモイモの植え付けを手伝ったものです。

10歳の時にはもう仲間たちとウブUbbuと呼ばれる田んぼ仕事に参加しました。

お昼時には小川で葉っぱを石ケンにして水浴びしたものです。

小学校の時、兄弟姉妹が多くて両親が私たちみんなを学校に通わせられないということで、私は先生のうちにお世話になることになりました。小学校6年を卒業した後、私はラガウエのドンボスコ・ハイスクール(中学校)で勉強を続けることになりました。とても授業料が高い学校です。私は学校の食堂でパンを売ってお小遣いを稼ぎました。

ハイスクールを卒業した後、私は勇敢にもカレッジで看護コースを取ることにしてバギオへと向かいました。しかし、シスターから手紙が届き、ラガウエのセント・ルイス・カレッジでワーキング・スチューデントとして受け入れてくれるということでした。私はそこでカレッジを終えたのです。

私はとても恵まれています。卒業と同時にアバタン町で仕事を得ることができました。そこで7年近く教鞭をとり、そのあとイマキュレイト・コンセプション・スクールに移って1年間教えました。

最初の子供を出産したのち、教職を離れました。夫はフンドアン町の町長となり、私は人々によってバランガイ・キャプテン(村長)に選出されました。バランガイ・キャプテンの任期を終えたあと、私は副町長に選出され1年間その職に就きました。

私は田仕事に特別の思いがあります。ですから副町長をやめてから現在に至るまでフルタイムの農家となりました。私は田んぼで働くことを楽しんでいます。レクリエーションでもありますし、毎日いただく食糧を生産することでもあるのです。余分に獲れた米は子供たちにも分けているのですよ。

教会の活動メンバーとして、キリスト教グループのサポートで、「バンバン、ゴデ、ポロッド・オーガニゼーション(BAGOPO)」という団体の設立をすることができました。

ほかのインタビュー対象の人も言っているように、「農業はもっとも誇るべき職業の一つです。なぜなら、農業はこの国の屋台骨であるからです」。

農家は大学やカレッジを卒業している必要はありません。

農家はコミュニティ(共同体)の普通の住民たちです。

先祖代々教わってきたことを、子供たちや次世代に受け継いでいく人たちです。

田んぼでの農作業から学んだことを実践します。ですから、化学肥料を使わない有機農業が受け継がれているのです。有機農業は、田んぼの雑草にアゾラAzola(Kuliolip)と言われる水草を混ぜて作る堆肥によって行われています。老人たちは今の若い世代よりも長寿をまっとうできているのは、そのおかげなんですよ。

田んぼでの作業は退屈で骨の折れる仕事です。農民はいつでも働き者で、賢くて、そして、強靭でなくてはなりません。その農家の働きが常に食卓の食べものを安全とし、日々を豊かなものとしているのです。

しかし、このごろの若い農民たちは、有機栽培が骨が折れるといってお手軽に収入を得ようと、有機でない肥料、除虫剤、農薬を使っています。

ミレニアル世代と呼ばれる2000年以降に生まれた子供たち、とくに教育をうけた子供たちは、土を触るのを疎みます。その結果、耕作放棄をされ荒れ果てた田んぼがあるのですよ。

いったい私たちはどういう民族なのでしたっけ? 

次世代にいったい何を残せるのでしょうか?


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(英語版・現地語原本)

Mr. Jose Culhi Pinay-an


I am Jose Culhi Pinay-an, 68 yearsold, married to Mrs. Erlinda Binlingan, residing at Dayyucong. Poblacion,Hungduan. My mother is from Hapao, Hungduan while my father is from Baang and they were both a farmer.

  When I was a child, I helped my parents work in the fields. One thing I can’t forget on those days was digging andcollecting of mudfishes in the Banong. From Hapao, we transferred to Polod, asitio of Bangbang. It was there where we settled down for so long because of the fields given by one of the sister of my “Apu” or the ‘Binoltan”. Shetransferred it to my mother so it’s where we practiced working together. During the Kahi-ani the ones who came to harvest were the people of Hapao.

It was here I started to work in the field, but before hand my father taught me how to use the “gaud”. I continued to help them until high school. When I was in high school, father taught me howto do wood carving. I immediately learned because this is one of my interests.Since I was in the third year I knew already hoe to do manual work. I can able to earn money for my own allowance. And because the money that my father earned was not enough for us, I better decided to help earned money for the education of my sister who finished a Commerce course, now she is working in Baguio.

Because my sister had her own work already, she was the responsible of financing the education of our three younger ones, until they graduated in college. The time I got married, we lived separately and built up my own family. I have seven children, females and twomales. I got our living room from my wood carving and farming. It is where I earned money to sustain the needs of my children especially their education. Now,at least five of them have their own work, while the last child is still studying. Sometimes, my wife helped me finish my engraving the carvings. Even my first child helps us in the wood carving that makes our work easier with my wife.

During my childhood days children,usually brought the boy with me to the forest to get logs that I use in woodcarving. While the girls also went to the rice field to work; only two younger ones did not yet experience working in the field.

When our eldest got married, we transferred to her the fields we received from my grandparents. During the harvest season, the people who helped them were from Nunggulunnan .I stopped carving wood in the year 2009 because I planes to run for barangay Kagawad in2010. I won and until now I’m serving my people. Even I am a barangay council;I still go to work in the field to help my wife during “law-ang” or weeding and preparing the fields.

As a public servant, I observed my responsibility to attend meeting or sessions. In Fact, I received a certificate of awards for having a complete attendance, in recognition to my dedication inwork related and an award from the region of certificate of appreciation for complete attendance. This made the Hugduan municipality as number one in region because of my dedication in my service in the senior organization; the Hungduan Municipal Office gave an additional 88 slots of scholarships. Aside from being the Senior Citizen President, I am also a member of Committee on Education in the following schools: Bangbang National High School. Nunpolia and Hungduan,Elementary Central School.

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From Mr. Pinay-an statements

“The Practices, issues and Cycle of Rice Production”


Mr. Jose Pinay-an says that there are practicesd one during the rice production such as: “Loka”” Binong-oh” or “bububon”,“ipatang”, “pungabutan, banong, pirpgir” (scrape it to look good) “itunod,kulpih” (it is done to avoid crickets and rat away from the fields), “Munhu-un/ihon-at, munliit”and “mungabut” (cleaning and clearing the field ( away from rice-eating pests),“bumunga” (getting a few stalk to be put to “up-uppig” (because the problemhere is that the huge number Maya bird-eating rice), “Munkiwa” (rice wine making for the “mun-ani”), “haligunop” (make rice wine for the people todrink).

He also stressed that it is notallowed vegetable to be as the viand during the “kahi-ani”, but only meat(Chicken or pork).

There are other practices to observe like” kahiw”, “manginga or munyuyu” during “kahi ani”. When there are still left rice were not harvested, they continue harvesting but it termed as“mangudur mangudur”, and there were people who will earned “munbakle” with the use of bundled rice “botok” as wages.

After harvesting, next cycle which was“munlamun” is weeding the fields and then, the “kahipatang”, (generally theterm given to the presentation of the rice seedlings to plant again). During“lamun” weeding.

Aside from the problem of budding orcalled Maya, soil is also a one. According to him, this is because ofover-fertilizers. The solution here is that, they let the fields dry up awayfrom water. Then after drying the tilt the soil again “lahug” and there were“yuyu” around. Then, they set the fields ready to plant.

The most problem of all the farmers is the” kohol and kiwit”, according to Mr. Pinay-an.

Other problems like the use o fmanpower that effects, the rice production. Some farmers are lazy to work in the fields. While the government employee’s hope only for rice supply. He also stated because of the over-use of application of modern technology that adds tothe problems of farmers, but sometimes, even the farmers harvested a lot and yet marketing is very poor.


*

Mrs. Daisy Yogyog


I am Daisy Yogyog, 42 years old with 4 children. Since I was young, I worked in the rice fields. I experienced sowing seedlings even if it’s very late especially during full moon just to earn money. When I started going to school, I worked in the rice fields during Saturdays, Sundays, and holidays. My father started raising chickens when I entered high school. At that time, I was offered a scholarship in Ifugao State University. I took the test for scholarship and passed. However, the policy of the school for the scholarship is to undergo a 5-day practicum for them to assess if the student is capable of taking vocational agriculture in high school. I was lucky because I passed the practicum and was able to avail of the scholarship which consistsof free tuition fee and allowance. Even if I was a scholar, I still worked during weekends by selling vegetable in Bagabag [Nueva Vizcaya] and supplied banana chips in Don Bosco High School.

I continued my studies in college and finished Bachelor of Science in Agricultural Technology as Cum Laude. Even if Iwas already employed in the local government unit of Hungduan, I can say that Iam still a farmer because I still work my husband in the farm during weekends and holidays. We are very lucky because we have industrious children who join us in the farm work especially our eldest son. My advice to every household isto plant food for their consumption. They should avoid buying foods with high preservatives. Parents should also engage in farming for the preservation of rice terraces.


in Tuwali

Haon soi daisy Yogyog 42 di toon ku waday opatan imbabalek. Nanipod hi kaungak ya nakikie yak hi payo. Pinadas kun nakikontrata an mun tunod uray mahdom karkaru nu full moon. Hidin mun man skulak moya um umeyak metlang hi payo ngem nusabadu, domingo ken summer. Hidin highschool ak ya inrugin mon da ama an munlako manok tan waday nangi offer hischolarship di agriculture ot eyak maki test ot pumasaak. Oha an patakaran diIFSU an bago ma avail nan scholarship ya wada nan 5 days practicum an I conductdi school ta tigon da nu kayan di ohan studante an mangala agriculture.Nagasatak te pinmasaak hinan practicum hiyanan na avail ku nan free tuition feewith allowance. Uray hi oha ak an scholar ya wake ta maid di klase karu nansabado ken domingoo on nun kompra ak ni nating ta ek ilaku Bagabag, Supplier dibanan chips hi Don Bosco High School.

Intuloy kun nan skwila hi kolihiyo ot magraduate ak hi Bachelor in Agriculturl Technology as Comlaude. Uray h oha ak anempleyado di LGU Hungduan ya maibagak an ohaak damma bo an farmer te wake tasabado, domingo ken holiday on imme kami payo ken garden ki lakay. Nagasat kami te nunka aanus nan imbabale mete makiki e da habal karkaru nan panguluwan an imbale mi lalaki. Hay Ma Iadvice ku ya every household kuma on mun tanom for food consumption ta iwasanan e gumatang hinan makan an dakol preservatives na. Another is parents should encourage to engage in farming fot the reservation of rice terraces.


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Mr. Isabel B. Lacbawan


I am Isabel B. Lacbawan 68 year sold and the third from the 12 children. When I was young, I used to help my grandmother in the field and in the kaingin to plant camote. At age 10, I engaged in farming called “ubbu” with peers. During lunch, we took a bath in the brook using leaves as our soap. During my elementary years with our number,our parents cannot afford sending us to school, so I stayed in one of my teachers.After grade 6, I went to Don Bosco, Lagawe to continue my high school. With such high amount of tuition fee, I sold bread of the school canteen and it was there here I earned my allowance. After high school, I was so ambitious to take nursing as my course in college, so I joined weaving in Baguio; but a Nun wrote me that I can be a working student at Saint Luis College, Lagawe and it was there where I finished a college degree. I was so lucky because after graduation, I was offered a job at Abatan, so I taught there for almost seven years, and then transferred at the immaculate Conception School for 1 year. After giving birth to my first child, I went on leave until I resigned in teaching. My husband then won as the mayor in Hungduan and I was the choice of the people to be the baranga ycaptain. After my term as barangay captain, I was elected as the vice mayor for one year.

Because of my passion is farming, I worked as full-time farmer after my one-year term as vice mayo until at present. I enjoyed working in the farm because farming to me is are creation and it serves as source of our daily consumption. I even distributes some to my children while sell the rests. As an active member of our chapel,and with the help of the farm first by the vicariate, I was able to organize the Bangbang, Gode, Polod Organization (BAGOPO).

Quoted from our informant,“farming is one of the most prestigious occupations since it is the backbone of the nation. Farmers need not to be degree holder or college graduate. But they were the simple folks in the community”. They were taught by their great, great grandparents and were transferred to their children from one generation to another. They learn the activities in the farm by example. They tilted their land using organic farming instead ofi norganic fertilizer. Organic farming is done by composting, whatever weeds in the farm together with Azola (kuliplip). With these reasons that life of the old are longer than the present generation.

Working in the farm is tedious and laborious hence a farmer has to be industrious, intelligent and strong. Healways makes the day fruitful in order to have food on the table “food security”.

Today, however, young farmer wanted instant income, so they make used of inorganic fertilizers, insecticides and pesticides since organic farming is laborious. Millennials today are lazy to soil their hands specially to educated ones. As a result, rice farms are being abandoned and uncultivated but, who we are today and how will be in the next generation?


by cordillera-green | 2019-07-24 15:11 | 環境教育